House of comfort

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先の記事の続きとなります。

元知事、ジャッドがカラウパパにもたらした変革は別に資料があります。これはアメリカのNational Park ServiceがそのサイトのなかでPDFとして公開しているものです。特に「Kalaupapa Settlement, 1940-1980」の項が該当しますので、参照ください。

external-link-16Historic Resource Study: Exile in Paradise: The Isolation of Hawaii’s Leprosy Victims and Development of Kalaupapa Settlement, 1865 to the present, Kalaupapa National Historical Park, Molokai, Hawaii (1985).

ジャッドの回想録だけではなく、その他の資料からも記述されていますので、第三者からの視点といった面で信用のおけるものと考えます。

ジャッドがカラウパパからの社会復帰に用意した施設がありました。

このパール・シティの施設に名前を用意する必要があり、ハワイ語の専門家である兄のヘンリー・ジャッドに相談した。彼がいくつか用意した候補から魅力的、かつ適切な「Hale Mohalu」を我々は選んだ。意味は「居心地の良い家comfortable home」である。(Lawrence M. Judd & Hawaii: an Autobiography p.279から)

彼の回想録が刊行されたのは1971年。今後もこの施設が適切に運用、維持されるものと彼は信じていたと思われます。しかし、そうではありませんでした。

ここで一人の人物を紹介したいと思います。名前はBernard Punikaiaさん。彼はマッシー事件で下した知事の判断を理由にジャッドを嫌っていました。ただ、その彼もカラウパパに元知事がもたらした環境の変化を率直に評価しています。(KALAUPAPA:A COLLECTIVE MEMORY から)

Hale Mohaluが政府の命令によって閉鎖されようとしたとき、もっとも激しく抵抗活動を繰り広げたのがBernard Punikaiaさん達でした。


(1分15秒くらいから当時のニュース番組を観ることが出来ます。)

彼の行動は先に挙げた書「KALAUPAPA:A COLLECTIVE MEMORY 」の「A Quest for Dignity -BERNARD K.PUNILAI’A AND HALE MOHALU」、「The Colony: The Harrowing True Story of the Exiles of Molokai」に記述されていますので、是非ご一読ください。

彼の回想は別書、「The Separating Sickness – Ma’i Ho’oka’awale: Interviews with Exiled Leprosy Patients at Kalaupapa, Hawaii」にも掲載されています。

合わせてお読みください。

以下、彼の肖像、功績か判る記事等にリンクを張らせていただきます。

external-link-162 WHO FOUGHT FOR LEPROSY CENTER TO BE TRIED」ニューヨーク・タイムス紙1983年10月11日の記事から)

external-link-16Magnum Photosのサイトから Hale Mohaluをキーワードに。Bernard Punikaiaの姿も含まれます。

external-link-16Group recalls dark events of Hale Mohalu」強制退去、撤去の日の回想(Honolulu Advertiser紙 2003年9月21日の記事から)

external-link-16‘Quest for Dignity’focuses on leprosy」1997年ニューヨーク国連本部にてハンセン症と元患者の尊厳回復をテーマとしたIDEA 国際集会が開催され、より一層Bernard Punikaiaさんの活動が知られるようになります。グーグル等で「バーナード・プニカイア」で検索してみて下さい。

2002年8月、それまでの彼の活が評価され「Bernard K. Punikaia Day」が制定されます。

external-link-16Today is named for Bernard Punikaia Honolulu Star-Bulletin 紙から

external-link-16Kalaupapa legend honored」Honolulu Advertiser紙から

2003年、Bernard Punikaia達は20年前の強制撤去に対する戦いを回想、彼の作詞した唄「Hale Mohalu」を合唱。

Land of joy.

Land of pain.

We are one.

一番最初にリンクさせて頂いた動画は30周年を記念する集会の様子で、「Hale Mohalu: Land of Joy, Land of Pain」という書が紹介されています。

external-link-16House of comfort -Hansen’s disease patients and supporters recall the stand they made 20 years ago-Honolulu Star-Bulletin 紙から

Bernard Punikaiaさんは2009年に亡くなります。

external-link-16Activist fought for leprosy patients」「Punikaia – unwavering advocate for dignityHonolulu Star-Bulletin 紙から

external-link-16Remembering Bernard Ka’owakaokalani Punikai’a and his ‘Quest for Dignity’ 」笹川記念保健協力財団 「WHOハンセン病制圧特別大使ニューズレター」から

external-link-16Kalaupapa Scenic Hana Hou! Magazine」写真家Elyse Butler Mallamsさんのブログから(ページ中央あたりにBernard Punikaiaさんのお墓が掲載されています。今はカラウパパに眠られているのですね)

external-link-16Bernard Punikaia on the steps of Hale Mohalu for the first time after its demolition, Pearl City, Oahu, 1985.」2012年8月HONOLULU誌サイトから

今回ご紹介したThe Separating Sickness のエピローグで、現代社会においてもまだ強いstigmaに苦しむ患者が多い、日本でさえ「らい予防法」を廃止するのはようやく1996年になってからであつことに言及されています。

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