Exiles

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準州知事ジャッドについての本サイトの記事は、主にマッシー事件との関係を軸にしたものでした。しかし、彼はその他にもハンセン病患者の生活、地位向上、社会復帰に大きな功績を残してきています。

この点は今では少なからず知られており、例えばウィキペディアの彼の項にも触れられているのですが、浅海がジャッド家について興味を持ったときに入手できる情報は限られたものしかありませんでした。(中途半端に彼について触れてきた浅海も少し責任を感じます)

彼の回想録以外で、その仕事が第三者の記録、記憶として語られる(一般の読者の眼に触れられる)ようになったのは最近のことのように思われます。

そのなかからと言われれば、次の一冊を読んで頂いたほうが良いと考えています。

The Colony: The Harrowing True Story of the Exiles of Molokai

本書において、ハワイにおけるハンセン病の悲しい歴史がさまざまな資料を基に語られており、その中で彼の功績がその回想録以上のものであったことが示されています。(表紙の写真が実はハワイの写真では無いようで、それが本書の評価をちょっと下げる要因になってしまっているのは残念です)。

以下は本書で引用されている書、証人達です。

No Footprints in the Sand: A Memoir of Kalaupapa

著者はKalaupapa経験の語り部の一人。彼がカラウパパの外の世界に踏み出す手助けをする人物として(少しですが)ジャッドが登場します。

My Name is Makia: A Memoir of Kalaupapa

本書の著者も語り部の一人。彼の回想ではジャッド元知事は音楽好きな楽しい好々爺というイメージ。

Olivia: My Life of Exile in Kalaupapa

物理的な「バリア」を取り除くジャッドの努力を著者、オリビアは記録としてのこしています。しかし、今の日本にも残るように心理的なバリアはなかなか消え去りませんでした。

external-link-16Diaspora Jurisprudence:The Politics of Native Entitlement

「The Colony」とは別に、特にお勧めしたいのが次の一冊です。

Kalaupapa: A Collective Memory (A Latitude 20 Book)

455頁に「Always This Line of Separation: A Cure, Barriers, and Lawrence Judd」という章が有ります。(目次をリンクします

ジャッドの甥、Dr.Charles Judd Jr.あのハワイ準州森林監督官チャールズ・ジャッドの息子さん)等様々な人物の回想(この地のフレンドリーな雰囲気の印象は、ちょうど今店頭に並んでいる雑誌「MONKEY Vol.4」 の特集「ジャック・ロンドン 新たに」のジャック・ロンドンの記述を連想させます)を軸に、当時の住人を取り巻いていた物理的、心理的な壁を描写します。

・「知事が来たとき、神の恩恵が与えられたと思った。(中略)彼が本当に壁を取り除き始めた初めての人だった」

・「実際に患者との壁を外してくれて、ああ、この人は本当に人の心が判る人だと思った」

・当時の夫人の回想「主人が『あれ(フェンスやチェーン等)を外したいんだと言ったとき、相手の大工は仰天したようで『間違いないですね』と聞き直した。『間違いないよ。ああいったものを取っ払いたいんだ』・・・」

・「なんて素敵な日!。そのあと、彼はカウンターを作ってくれて、みんなと食事やいろんなことを一緒に出来るようになった。・・・」

・「ジャッド知事はいろんな有名人、芸能人を連れてきて私たちを楽しませてくれた。レッド・スケルトン、アート・リンクレター、アーサー・フィードラー、エディ・ピーボディ、ジョーン・フォンテイン、エドワード・G・ロビンソン・・・」

シャーリー・テンプル、エドガー・バーゲンの名前も。

ジャッド自身の回想録にもこうあります。

アーヴィング・バーリンが他の島の経由として空港に来たとき、皆を楽しませるために帰りに立ち寄ってくれないかと頼んだ。彼は快く引き受けてくれた。

その日の遅く、彼は娯楽ホールでピアノの前に座り、患者たちに持ち歌からのリクエストを募った。ミスター・バーリンが歌ってくれたすべての曲は、患者たちも良く知っており、歌っていたものだった。

(中略)

コメディ・チームのOlsen and Johnson はある理由で小さな飛行機でのカラウパパ行きが出来なかったが、そのかわりモロカイ空港から車に乗り換え、カラウパパ崖の頂上まで行き、用意しておいた馬とラバで険しい道を乗り越えて来てくれた。

(そんな苦労を経たにも関わらず、いつも以上のハイテンション、大騒ぎのステージで観客を楽しませてくれたとあります)

ポール・ロブスンも訪れてくれた一人で、世には彼と共産主義の関係で反感を持つむきもあったが、わたしは彼のような高名なアーティストのコンサートの機会を逃すつもりはなかった。

Lowrence M.Judd & Hawaii-AN AUTOBIOGRAPHY- chapter36 The Little Worldof Kalaupapa p.265から

本書に有るとおり、マッシー事件での彼の判断への評価が定まるのにはまだ時間がかかるでしょう。しかし、ハワイのハンセン病元患者の世界を大きく変えた、あるいは変えようとしたということは間違いがないと思います。

もう一冊、紹介させてください。

Moloka’i

本書はカラウパパに送られた女性の一生を描く大河小説。著者はテレビドラマの脚本家ということで、目の前に絵が浮かんでくるような。中でも「ドラマ化されたらここは外せないでしょう」という印象的なシーンでジャッドが登場するのですが、最初に読んだときは、これは小説だし、ちょっと盛り上げ過ぎと。でも、今思うとこういった場面が実際にあったかもしれませんね。どのようなシーンだったかは実際に読んでみて下さい。

あともう一点だけ。あの高名なアーニー・パイルの本からの引用にリンクさせて下さい。

external-link-16An excerpt from the book “Home Country” by Ernie Pyle Remembering Kalaupapa The “Doc Cooke” Years of 1925 ~ 1939から

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