SONS OF THE AMERICAN REVOLTION HAWAII 1912

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ハワイの日系人史を語る上で1919年からの日本語学校規制の動きとそれに対する日系人社会の動揺、反発をマイルストーンとして挙げなければならないでしょう。この規制の動きの嚆矢となったのがガーディアン・トラスト社のA・F・ジャッドの「学校教師資格制定案」、いわゆるジャッド案でした。

一営利会社の副社長が畠違いの此の問題の投石をしたことしたことに世人は脅威の眼を瞠った。

「ハワイ日本語学校教育史」/ハワイ教育会編 P85から引用しましたが、ハワイ報知社の創刊者牧野金三郎の伝記においても、また「日本語学校勝訴十周年記念誌」においても同様の表現がされています。

当時はキリスト教と仏教界のライバル関係がありましたから(このように単純な表現ではすまないと思いますけど)、新聞社間の競争もあっていろいろな説が飛び交ったようです。上記「ハワイ日本語学校教育史」や「ハワイ報知創刊七十五周年記念誌」によれば奥村多喜衛牧師の子息とA・F・ジャッドとの間に交流があったことから、奥村牧師側キリスト教徒の「はかりごと」(この表現は浅海がかってにしていますが)とする日本の新聞報道もあったようです。奥村多喜衛さんの評伝も確認すべきですが、今、手元になく)

この件についてはA・F・ジャッド、奥村牧師側双方が否定。結局、ジャッドという人物がどのような動機でこの案を提示したのかは今もはっきりしていないと思います。(すでに研究がされているかもしれませんが)

A・F・ジャッドは名前から類推されるように、1900年までハワイの最高裁判所長官を務めたAlbert Francis Juddの息子であり、おなじく法律を本土で学んだ人物です。移民史に関わることがらとしては耕地主団体の意をくんでフィリピンからの労働者導入を図ったりした働きがありますが、それと今回の日本語学校への関心とはなかなか結び付けることが難しく思います。ビショップ博物館に保存された彼の私文書、公文書を仔細に研究すれば動機が分かるかもしれませんが、以下に書くことは浅海の勝手な推測になります。

(2013/09/01 の訂正:このサイトの書き込みではいくつもの誤りをしてきましたが、上記もその一つ。「ビショップ博物館に保存された彼の私文書、公文書」は「From mystery to Hawai’i history」という記事を念頭に置きましたが、記事を読んでいただくとお解りのとおり、Albert Francis Judd IIの文書というわけではなく、ジャッド家全般の文書です。つい思い込みで上記のような書き込みをしてしまいました。過去にも同じような記述そしています。申し訳ありません。ここで訂正を。Albert Francis Judd IIの文書の格納先としては、彼の文書は含まれているでしょうが、挙げるべきではなかったと思います)

・SONS OF THE AMERICAN REVOLTION HAWAII 1912

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ここに紹介する書は「 Hawaii Society of the Sons of the American Revolution」という団体の1912時点での参加メンバーと歴史をまとめたものです。

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上記サイトを見ていただければすぐにわかるのですが、1895年の創立時メンバーに時の最高裁判所長官Albert Francis Juddの名前があります。

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そしてこの1912年時点で上記「ジャッド案」起草者であるところのAlbert Francis Judd(ジュニアですね)もメンバーであったことも明らかです。

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この団体のメンバーであったことは当時のハワイの社会を考えると特別なことではなかったように思われます。並んでいる名前を見ると政財界などでハワイ近代史、現代史でおなじみの名前ばかりですし、その多くがボストンからの宣教師までルーツがたどれるであろうことが容易に推察できます。

この団体の設立由来からいってもアメリカ建国の精神、愛国心への教育に熱心であったことは当然のことだと思います。そして、そのハワイで異国語による教育が行われていることに懸念を抱いただろうことも。

そして、もっと面白いこと?には、Albert Francis Judd シニアの奥さん(えーっとジャッド案の起草者の母親)は、同様の団体の女性版である「Daughters of the American Revolution (DAR)」のハワイ支部の二代目評議員(州支部のリーダー)でした。つまり両親ともアメリカ独立時点までたどれるというわけです。特にDARで強調されているのはメンバーである条件として、アメリカ独立まで血筋がたどれるだけではなく、同時に「愛国者」であったことも求めているのですね。

(2013/09/01 の訂正:上で以前、創立者と書いていましたが、誤りです。勢いで書いてしまいましたが、実際の創立者、初代リーダーはMrs. E. L. Byronですね。Mrs. Agnes Hall Boyd Juddが上に挙げた両サイトで大きく取り上げられているのはハワイで知られていた一家だったからでしょう。しかも評議員でいた時期は1918から1919までと短期間。ちょっと大げさに書きすぎました。訂正しお詫び致します。)

こちらのサイトではジャッド一家の写真が紹介されています。リンク先を参照してみてください。この中に少年時代のAlbert Francis Juddが写っています。

DAR in Hawaii

日本ではDARについてあまり馴染みがありませんが、日本では「愛国婦人会」として訳されています。アーロン・ソーキン脚本の「ザ・ホワイトハウス」では数話で登場しています。面白いことにちょっと茶化し気味の取り上げ方で、実在する団体をこのように扱っていいのかと面白く観たことを思い出します。ドラマではバートレット大統領の奥さんがDARのメンバーであるという設定になっています。リベラルですが良家の出身というわけです。第四シーズン18話「Privateers」では大統領の娘がDARの晩餐会にデビューすることになったのですが、有力メンバーの一人がへそを曲げてしまいます。つまり、彼女たちの祖先が愛国者ではなくPrivateers、つまり海賊だったと難癖をつけてレセプション出席をボイコットしようとするのです。さて、ウェストウィングの皆はどのように問題を解決するのでしょうか。

ホワイトハウス<フォース・シーズン> 第18話「アラスカの悲劇」

(すみません。リンク先は当然ですが有料サービスです)

ちょっとネタバレ。

 

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