身近だったネイティブ・ハワイアンの世界(オアフ島)
Henry Juddの話を続けます。今回も彼の回想録から。 以前にも書いたとおり、父親も兄弟もハワイ語に堪能であったことから、ハワイ語が出来るということは一家にとって特別なことではなかったのかもしれません。ハワイ語との出...
Henry Juddの話を続けます。今回も彼の回想録から。 以前にも書いたとおり、父親も兄弟もハワイ語に堪能であったことから、ハワイ語が出来るということは一家にとって特別なことではなかったのかもしれません。ハワイ語との出...
今ではハワイ語の辞書といえばプクイさんの辞書が定番ですが、ハンディなタイプの辞書であれば今回取り上げるヘンリー・ジャッド、Henry Juddが編纂者として名前の挙がっている辞書がまだ書店に並んでいます。 とはいえ、20...
先に続けてA. F. Judd, Jr.について書かせてください。 ジャッド家について調べていたときもあまりインターネット上で情報が拾えていなくて・・・。今はかなり増えてきたとはいえ、かなり断片的です。すこし、まとまって...
今までハワイの日本語学校の問題を取り上げてきましたが、そのきっかけの一人であるAlbert Francis Juddについて、教育には関係のない人物として表現してきました。これはちょっと誤りがありました。もう少し調べれば...
ジャッド家三代目の話題を続けましょう。 オアフ島の良く知られているトレイルコースに「Judd Memorial Trail」があります。このトレイルの名前が準州時代の森林官(しっくりこないですね、林野庁というのが有るとす...