先に続けてA. F. Judd, Jr.について書かせてください。
ジャッド家について調べていたときもあまりインターネット上で情報が拾えていなくて・・・。今はかなり増えてきたとはいえ、かなり断片的です。すこし、まとまっているかなという情報は以下のリンクでしょうか。
・The First Elks: A. F. Judd, Jr. Lodge Secretary – First & Fast
Benevolent and Protective Order of Elksは一種の社交クラブで、フリー・メーソンほど秘密めいていない団体かな。かなり活発な社会活動をしています。(父親のA. F. Juddはフリーメーソンの一員だったはずです)
記事中にBishop Museum関係の活動が挙がっていますよね。かなり積極的にかかわっていたようですし、さまざまな分野で博識だったようです。今まで彼をビジネスの面でしか見ていませんでしたが・・・。
Bishop Museum Archivesを著者名「judd」で検索してみましょう。驚くほど広い範囲の記事を書いていることがわかります。
Kalakaua, David, King of Hawaii, 1836-1891.
Liliuokalani, Queen of Hawaii, 1838-1917.
Ethnology Hawaii.
Ethnology American Samoa.
Kava ceremony American Samoa.
Heiau Hawaii.
Tutuila Island (American Samoa)
Kapua (Hawaii)
Philippines.
民族学的なテーマに博識であったようですが、先に書いたように興味の対象は考古、生物、さまざまな分野に広がっていた模様です。
これが研究だけにとどまっていただけではなく、ビジネスや別の方向にも向かっていたんですね。Elksの記事に、「Business:」として
- 1906 Hawaiian Sugar Planters Association – arranged first Ilocano workers
を挙げています。彼がフィリピンから労働力移入を図ったことはロナルド・タカキ著の「パウ・ハナ―ハワイ移民の社会史」に記述があります。 Ilocanoとはフィリピンで三番目に多い民族だそうです。その移入を「Hawaiian Sugar Planters Association」の依頼で試みているのです。(この時期、日系移民の発言力もまして、プランテーションにとってあまり安価な労働力とは言えなくなってきていたのですね)
彼の仕事(と言っていいのでしょうか)に、やはり南太平洋全般の民族学的知識を生かしたと思われるものがあります。
彼はハワイへの多民族移入を試みただけではないんです。第二次世界大戦前に、カメハメハ・スクールの生徒を南太平洋諸島に移住させる計画を提案しているんです。記事を読んでいただけるとわかりますが、つまり、ハワイ人である特性を生かした判断ということなんでしょうか。
・Colonizers recall wartime survival
・Hui Panala‘au: Hawaiian Colonists in the Pacific, 1935–1942
彼の務めていた「ガーディアン・トラスト」という会社についてもなかなかよく判りません。以前、この会社について触れたとき、のちに「ビショップ・エステート」と統合されたようなことを書きましたが、実は大きな勘違いで、「ビショップ・トラスト」への統合が正しかったのです。ビショップ・エステートと、ビショップ・トラストを混同していました。ただ、確かにメンバーは重なるんですよね。以下のリストの筆頭に挙がっているWilliam Owen Smith がガーディアン・トラスト社のファウンダーなんです。
・Bishop Estate long a power – and a target
いろいろ調べ始めたときはまだビショップ・エステートのスキャンダルの記憶が生々しくて、Bishop Estateのtrusteeというだけで彼を見る眼が曇ってしまって。今もなかなか素直に彼を観ることが出来ませんでした。
ビショップ博物館には彼の残した記事や、一家の文書が膨大に残っています。僕の知るかぎり、それらはまだすべてディジタル化されておりませんし、オンラインでの公開もされていません。ライブラリで一端には触れることが出来ましたが、僕の英語力と限られた時間では歯が立ちませんでした。もし、もっと能力と曇らぬ目があったならもっと彼について語ることが出来たのですが。