マーク・トウェインからの手紙

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今までハワイの日本語学校の問題を取り上げてきましたが、そのきっかけの一人であるAlbert Francis Juddについて、教育には関係のない人物として表現してきました。これはちょっと誤りがありました。もう少し調べればわかったことでしたのに、見過ごしていました。

きっかけはマーク・トウェインから彼の父、Albert Francis Juddにあてた手紙を「マーク・トウェイン・プロジェクト(Mark Twain Project)」のサイトから見つけたことから始まります。

その手紙はテキストの形で公開されていますので、以下のリンク先から参照ください。

SLC to A. Francis Judd, 20 Dec 1870

1870年ですからまだAlbert Francis Juddもチーフ・ジャスティスではなく、議員であったときのものです。ジャッドからの手紙への返事のようですが、ジャッドからの手紙は残っていないようです。内容からするとかなり親しい間柄のように思えます。この手紙以外にも通信はあったのでしょう。(見て頂ければわかりますが、マーク・トウェインは書き出しの名前を間違えており、それを消して書き直しています。そのまま出してしまうのですから、気の置けない仲であったのでしょう。そうでなければマーク・トウェインがかなり無神経な人物ということに)

手紙によればトウェインのハワイに関する講演に触れられています。彼のハワイに関しての講演会の内容について、宣教師の行いに好意的な表現がされていることへの礼が記されていたのかもしれません。実際の講演や記述については彩流社のマーク・トウェイン・コレクション「ハワイ通信」にあたるべきですが、本棚に見つからないので(どこに置いたのやら)、雑誌「ユリイカ1996年7月号「マーク・トウェイン特集号」掲載の『「ハワイ諸島」講演』平石貴樹さん訳から引用させてください。

かれらカナカ人は、何につけても時代遅れの連中だったんです。だんだんアメリカ人の宣教師がやってきて、連中のくびきを外してやり、王様たちや酋長たちの権力を失くさせました。平民を開放したり、その奥さんを平等の地位に高めたり、一人一人に土地の持ち分を与えて永久に持っていられるようにしたりしてやったんです。宣教師たちは国中の人々に、かれらの言葉の読み書きも教えました。今日ハワイでは、八歳を過ぎて学校へ行っていない人は一人もいないと思います。ですからあの国が、世界でももっとも教育の進んだ国ということになります。合衆国のあちこちを含めてもね。それがみんなアメリカの宣教師によって行われたんです。

もうひとつ、「ハワイ通信」のかわりに「西部放浪記」(下巻)から関連する記述を引用させてください。原題「Roughing It」にもハワイ関係の記述が多いのです。木内徹さんの訳です。(162頁後半から163頁までから引用)

王様と酋長たちは強権をもって一般住民を支配した。(中略)ところが宣教師たちは彼らに服を着せ、教育し、専制君主の酋長たちとのくびきから解き放ち、自由を与え、人々が自分の手と頭によって作り出したものはそのまま平等の法によって享受できる権利を与え、これを脅かすものにはすべて罰を与えた。(後略:宣教師への賛辞が続きます)

宣教師の子供であるジャッドが感想を伝えたくなる気持ちもわかりますね。今、一般的なハワイの歴史観からするとかなり違和感があります。たとえば「白鯨」のメルヴィルの宣教師への評価と比べてもかなり違います。

それはともかく、この手紙が収蔵されているのはイェール大学図書館で、寄贈主はその息子であるAlbert Francis Judd, Jr.。つまり、日本語規制案の原案起草者です。送られた手紙は写しであって原本ではないとのこと。Albert Francis Judd, Jr.とビショップ博物館の関係は知っていましたから、原本はそこに収蔵されているのかといろいろ検索掛けたのですが。いやいや。

びっくりしました。ビジネスマンとしかみていなかったのですが、彼は多方面にわたってハワイ文化を研究していたのですね。たとえばこのようなものが有ります。

Rock carvings of Hawaii

リンク先はスミソニアン図書館のオンラインアーカイブですが、観てお解りのとおり、ハワイのペトログリフの研究ではないですか!。しかも手書きのスケッチがなんとも言えない味を出しています。このスケッチも著者自ら描いたのでしょうか。ちょっと見る目が変わってきました。

もう一つ、べつの分野の文章が有ります。「Trees and Plants」。「Ancient Hawaiian Civilization」という本に収められている講説(論文とまではいかない)の一つです。初版は1933年にカメハメハ・スクールからその生徒、ハワイ文化に関心ある人向けに出版されたものですが、長く入手困難な状況にありました。

改版されたものがお馴染み日本のCHARLES E.TUTTLE COMPANYで出版されたのが1965年。

今はMutual Publishingから容易に入手可能です。(といっても僕は持っていませんでした。恥ずかしながら)。著者が Kamehameha Schools になっています。

ancienthawaiiancivilization001

CHARLES E.TUTTLEから表紙とその記事をご紹介しましょう。

ancienthawaiiancivilization002(暗くてすみません)

目次部分です。

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26項目がそれです。ハワイ語は兄弟のHenry P.Juddが担当していますね。(後日、Henry P.Juddにも触れます)

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後半は過去、ハワイ人がその木材、植物をどのように利用してたのかと、高名なハワイ植物に関しての著作「In Honolulu Gardens」該当ページを一覧にしています。この一覧部分で6ページほどになります。(部屋のどこかにその本が有るのですが、探す気力が今はありません)

ancienthawaiiancivilization005

もっと触れるべきことは多いのですが、もう体力が有りません。続きは後日に。

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