The Piko Club: Hiking O’ahu in the 1930s

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ジャッド家三代目の話題を続けましょう。
オアフ島の良く知られているトレイルコースに「Judd Memorial Trail」があります。このトレイルの名前が準州時代の森林官(しっくりこないですね、林野庁というのが有るとすればその長官?)Charles S. Juddを記念して付けれていることはいくつかのハイキング・トレッキングガイドブックで触れられているのですが、そのプロフィールまで踏み込んだ記述はなかなか有りません。

幸いにして「The Hikers Guide to O’Ahu」の著者、STUART M. BALL JR.がHawaiian Historical Societyの会報Volume 37に良い記事を掲載してくれていました。

「The Piko Club: Hiking O’ahu in the 1930s」はオンラインで公開されていますので、ご覧になって下さい。
The Piko Club: Hiking O’ahu in the 1930s

これによるとCharles S. Juddもイェール大学に進学しているのですが、Master of Forestry degreeを1907年に取得とありますから若いときから自然、山歩きが好きだったのですね。Master of Forestry degreeは日本語に直すとなんでしょう。「森林管理学」が正しいのでしょうか。

全体的に楽しい読み物になっていますが、The Piko Clubのもう一人の創立者であるBriant H.Wellsが軍人であることからも第一次世界大戦から第二次世界大戦の合間の軍事基地、拠点としてのハワイの位置づけも意識せざるをえません。たとえばこの記事によれば島にトレイルを張り巡らせる目的がCharles S. Juddには豚の駆逐にはハンターが山歩きしやすいようにトレイルを整備することにあったのに対し、軍側の目的は対日本戦争を見据えた(War Plan Orange)オアフ防衛計画の一環であったことがわかります。したがってこのハイキング愛好クラブのメンバーに軍人が多かったのです。

それでもCharles S. Juddは軍が新しい道を切り開く際には水利保全という森林本来の役割を損なわないように気にかけていたそうです。また、外来種からハワイ本来の植物等を守ることを主張していたそうです。(以下の書を参考にしています)

それはさておき、「The Piko Club: Hiking O’ahu in the 1930s」は愉快な読み物です。そもそもこの「The Piko Club」というクラブの名称、ハワイ語の「頂上」を意味するPikoから名づけられているのですが、同時に「へそ」という意味も持つため、リーダーは「How’s your belly button?」という意味のハワイ語でメンバーに呼びかけ、それに対し、「大丈夫だよ」と返すのが挨拶だったそうです。このCharles S. Juddという人物の人柄がしのばれます。実際、記事にも言及されていますが、彼はハワイ語を流暢に操れたそうです。
そういえば先の書き込みで触れるのを忘れましたが、フランスで活躍した医者である兄弟のJames Robert Juddも

Dr. Judd always maintained an active interest in foreign languages, speaking French and Hawaiian fluently as well as having a good knowledge of other languages.

だったそうですから、この一家にとって、ハワイ語を話せるということはごく自然なことであったかもしれません。

それにしても彼が回想録を書いてくれていればたいそう面白い本になっていたでしょうに・・。浅海の知るかぎり無いのです。残念なことです。

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