わが人となりし足跡‐八十年の回顧‐

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先週、NHKの番組「のんびりゆったり 路線バスの旅▽心のふるさと 瀬戸内のハワイへ~山口 周防大島」を見ていて、あわてて本棚を探し回りました。見覚えの有るお名前が出てきたからです。場面は泊清寺の寄進者の名前を記した額・・・。(画面貼り付けはルール違反ですが。すみません)沖家室まで紹介してくれるとは本当に有り難いことです。バスで行けるのであれば次回はぜひ、足を運びたい。

泊清寺1泊清寺2

ハワイの水産業は日系移民によって盛んになってきたわけですが、その多くを沖家室島出身者が担ってきたのです。

「わが人となりし足跡‐八十年の回顧‐」の著者、大谷松治郎さんもその一人で、特にその歴史を語るうえで欠かせない方です。(以前、このブログでハワイ日本文化センターThe Japanese Cultural Center of Hawaiiの本を紹介させて頂いたときにこの額と同じく大谷松次郎さんと誤記してしまいましたが、正しくは松治郎さんでした。

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本書は日本から勲五等瑞宝章叙勲を記念して出版されたもの。これに先立って行われた祝賀会の参加者を見てもその影響力の大きさを感じます。バーンズ州知事、副知事、スパーク松永議員、パッツィ・ミンク議員、ハワイ州判事サミュエル・キング・・・・。わお。

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18歳でハワイにわたって以来、苦労を重ねての叙勲、感動はいかばかりかと思われます。昭和九年に病気の父親を見舞いに日本に帰国されていますので、番組で紹介された額はその数年後のことですね。また、それ以前、小学校にピアノを寄付されているようなのですが、そういったことは一切この回想録に記述されていないのです。

・ハワイから贈られたピアノの復活の軌跡

新聞でも紹介されたこのピアノが寄付されたのは昭和四年とのこと。本書の年譜によれば昭和二年に墓参、商用のために帰国とありますので、その時になにか決意されるものがあったのでしょうか。

その後、設立した会社がハリケーンで壊滅的な被害を受けたり、真珠湾攻撃の際には収容されて本土各地を転々とするという苦労を重ね、そのたびことに立ち上がってこられた姿が描かれています。(そうなんです。大谷さんも収容されたメンバーの一人なんですね)

本書には昭和33年に夫婦、子供を伴って帰郷されたときの写真が有りますが、その時は大島までも船で、その上、小さな小舟に乗り換えて沖家室島に渡っているんです。大変です。

大谷さんをはじめとして沖家室出身者は故郷を起点とした強いネットワークがありました。その柱となったのが、雑誌「かむろ」。幸いにして復刻版を読むことが出来ます。

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本書によれば大谷さんは第一号から近況を寄せられており、「ホノルル通信」として寄稿された号もあります。(ヒロ通信や近況には上記テレビ画面にある北川さんも寄稿されています。その他の方々のお名前も)

大谷さん、沖家室島については以下の書もぜひお読み下さい。

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最後にハワイにおける水産業を紹介する二つの動画を紹介させていただきます。動画の中で紹介される「United Fishing Agency」は大谷さんの残されたものの一つです。

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