Yes, Admiral Stirling, Hawaii can be trusted.

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ナチスがポーランドに侵攻した1939年9月。スターリング元提督の「CAN WE TRUST HAWAII?」という寄稿が掲載された3か月後、同じLiberty誌9月2日号に提督への反論が掲載されます。(もちろん、雑誌編集中には侵攻が起きていませんが、緊張状態にある様子が表紙のトップにも見て取れます。)

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反論を寄せたのはジャッド元準州知事と、当時合衆国議会における準州代表の任にあったサミュエル・ワイルダー・キング(後に11代準州知事になります)

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キングが反論を寄せているのはもちろん準州ハワイの代議員ということもあり、また、ハワイ人の血を引き継いでいるということもあるからですね。

external-link-16Samuel Wilder King (The Densho Encyclopedia)から。この記事に示されるとおり、彼は日系住民への信頼に対する疑問に対峙するとともに、立州に向けても積極的に活動、しかし、残念ながら1959年に亡くなっています。ハワイ立州が1959年8月21日ですから、その直前に亡くなられているのです。(今年はハワイ立州55周年ということになりますね)

二人の主張を観ていきましょう。()内の注釈は浅海が勝手に入れています

まずはキングの記事から。

  • 約40年前に一つの小さな国が大きな社会の変動を経験。今では小さいながらも合衆国の重要な位置を占めている。
  • 本土の人々は歌と踊りの南国をイメージしているが、ハワイは今や産業の残滓の山であり、経済と防衛拠点の地位がハワイに大きな影を落としている。財務省には膨大な金額の納付を行っており、同時に戦略的な位置にあるとされるがゆえに、最も強力な戦力の基地が存在している。
  • 準州のネイティブ、ハワイに居ついたヤンキー航海士、偉大なるカメハメハ一世の被後見人の血を引く者(母方がカメハメハ大王の時代の首長の子孫)として、U.S. Naval Academyを創業しアメリカ海軍に長く勤務した者としてもスターリング元提督の記事に反論しよう。
  • 提督は40%もの住民(日系人)が祖国(日本)に未だに忠誠を誓っていると書かれているが、事実は異なる。
  • 実際は8.9%の住民だけがアメリカ国籍を持たない日本人であり(つまり一世のこと)、それもアメリカ自身がそれを認めていない故の結果である。
  • 81%は当地生まれであり、これは例えば提督の生まれたカリフォルニアと比べても高い比率なのである。
  • ハワイの人々が人種によって区別されるのであれば、そもそもアメリカ人とは誰なのか。
  • 1937年にハワイを訪れた上院、下院の合同調査委員会の報告から引用しよう。「ハワイの人々の忠誠心は第一次世界大戦における割り当てを超える志願兵によって明らかであり、もし、アメリカが再び戦争に参加することになったとしたら、そして敵国がどこになったとしても、再びそれが示されることになるだろう。」
  • 提督が懸念されている政治、選挙における日系移民の投票行動の偏重についても委員会の調査によって問題ないことが、むしろアメリカ本土のそれに比べても公平であったことが証明されている。
  • 私はハワイの人々が他の地の人々と異なる扱いを受けることを断固として拒絶する。そのような違いは併合時の憲法にも表現されていなかったし、その協定をアメリカ本土の人々が守り続けるつもりであることを確信している。
  • 委員会の提言に従い、来年の選挙にてハワイの立州化に向けてしかるべき手続きを踏むつもりだ。
  • 私の予想では有権者は立州を圧倒的に支持するはずであり、州になることはごく容易であるはずだ。

ジャッド元準州知事の記事はどうでしょうか。

  • 前準州知事の任にあった者としてこう答える。「イエス、提督。ハワイは信頼できます」。
  • 地理的な要素ばかりではなく、経済的にもハワイは本土に多大な貢献をしている。それは交易の量もそうであるし、納税額も州を越える額を収めているのだ。
  • 提督は「楽しみを優先するハワイコミュニティは発展の遅延、東洋と白人の混在したビジネス環境、政治的『陰謀』と『ごまかし』をもたらしている」と書かれた。どのような『陰謀』が必要とされる$130,000,000もの価値のある食料産物を生み出せるのか。どのような『ごまかし』が本土の最高ラインとハワイの最低ラインが同等という賃金状況を生み出せるのだろうか。どのような『陰謀』と『ごまかし』がハワイを文明の益を享受できる近代的なアメリカのコミュニティに出来たのだろうか。
  • 『アジアの人口に蹂躙等々』の主張も理解しがたいものがある。実際は約400,000人の人口のうち、328,000人は純然たるアメリカ市民だ。大多数がこの地に生まれ市民権を受けたものである。ハワイでは81%がこの土地生まれであり、たとえばニューヨークでは74.6%に過ぎないのだ。
  • そしてまた、アメリカでももっとも進歩し、包括的な教育システムにも感謝しなければならない。ハワイ生まれの識字率は実質的に100%。さらに言えば、アメリカの教育ばかりではなく、アメリカの旗のもと多様な人種の文化を受け入れる能力をも身に着けている。
  • ルーズベルト大統領がハワイを訪れたとき、このように述べた。「アメリカ本土では経済的、教育的に実に様々なレベルが見られたが、ここハワイではそれが無い」(ハワイでは経済的、教育レベルが均質と浅海は解釈しましたが、正しい翻訳かどうか・・・)
  • スターリング元提督は事実を無視しているのか、人種的偏見に目を曇らされているのか?。ハワイが「オリエンタル・ランド」という認識、「白人アメリカ人の脱出」との引用は彼の空想、妄想からくるのだろうか。
  • 日系の人々による投票の偏重については1938年2月15日に上院に報告された調査結果に「人種による偏重の証拠はなく、(中略)将来もその公正さは期待できる」とある。
  • これら事実を歪曲して「ハワイの立州化に伴うリスク」という根拠のない主張をしている。これは彼自身の主張の基盤を揺るがすものだ。確かにわれわれはパールハーバーの基地に$100,000,000もの額を費やしている。また、陸軍基地も世界最大規模のものをハワイで賄っている。立州化がこの基盤やここで働く兵士たちのモラルを低下させるというのか。
  • ハワイのほかの地域は国防の重要な位置を占める位置に無いし、また歓迎もしないだろう。ハワイが準州のままであっても州となっても、連邦政府のコントロール下にあることには変わりがないのである。
  • 元提督は「ハワイの法廷によって決定された、国防のために購入される土地の過大な支出」に不満を呈しているが、これは連邦の法廷によって決せられたものだ。この決定に対する元提督の低い評価には承服しがたい。
  • が合衆国全体 向けられたものとするならば 、 130,000,000人(注:当時のアメリカ合衆国の人口)大多数のフェアプレイ・スピリットと信頼がこの う。「答えは『イエス』です。提督」

すみません。下手な訳でかなり端折っていますし、正確性に欠けます。

二人の主張には重複が有ることお気づきかと思います。ハワイ生まれ、ネイティブ・ボーンの人口の割合が他州に比べても多いこと。選挙行動の公正さが調査によって証明されていること、等です。

ジャッド前知事の主張には経済面、軍事面等への言及が多いのに対し、キング代議員は日系人の信頼性への言及が主になっています。

特に大きな違いと感じるのは軍事的な位置の重要性について述べている箇所で、キング代議員の記事ではどちらかというと否定的なニュアンスを感じ、ジャッド前知事はむしろ肯定的、ハワイの地位向上に向けて積極的に受け入れる姿勢を示しています。

実際のところ、ジャッド知事とスターリング提督はハワイの戦略的な位置づけについて共通する認識を持っていました。双方の回想録を引用しましょう。

私のジャッド知事との個人的な関係は良好で、気性も会った。島の各所に釣りに同行したものだった。われわれ海軍の飛行機が知事の公式、準公式の島々の訪問に使われた。そして、私もよく同行した。軍関係者、知事、そして私は防御兵力の重要性について非公式だが建設的な意見交換を行ってきた。準州政府は好奇心以上のアシストを我々に行ってくれ、我々の間ではこの長い付き合いの長で共通認識が築かれたと思われた。

「SEA DUTY」P.244 から

しかし、この良好な関係もマッシー事件によって打ち砕かれます。

(スターリング提督の経験と見識に言及してから)彼は対日戦争の危険に心を奪われていた。私は彼との世界政治と当時の戦略について会話をし、感銘を与えられた。彼は当時の海軍士官達と空軍力の重要性を評価していた。我々は双方心から信頼した仲だったといえよう。

(中略:マッシー事件発生時の提督との緊迫したやり取りで当時のハワイコミュニティへの信頼性の齟齬が明らかになります)

私はスターリング提督の戦略家としての能力に最高の敬意を持っていたが、彼の太平洋の状況において人種多様性が許容できないという彼の意見には異論があった。ハワイの第三世代の白人として、もっとより良いやり方を個人的な経験から知っていた。

スターリング提督はこのような捨て台詞を吐いた。

「もし、彼らが彼らの犯罪者を我々に対し守ろうとしているのなら、アジアの国々が我々に宣戦布告したときにどのような行動を取ると思う?」

「自分の意見だが」私はこう答えた。「住民は忠誠を保つと思うね」

その時は知る由もなかったが、この「意見」はのちに証明されることになる。1941年12月7日の真珠湾攻撃によって。

「Lawrence M. Judd & Hawaii:AN AUTOBIOGRAPHY」pp.171-172

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