CAN WE TRUST HAWAII?

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1939年。日本の中国侵攻、攻撃が国際的な非難を受け、またヨーロッパで緊張が高まり第二次世界大戦の火ぶたが切られようとした年。「Liberty」誌6月17日号に「CAN WE TRUST HAWAII?」という記事が掲載されます。

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投稿者はこの時引退していたスターリング提督。

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内容はおおざっぱにまとめると以下のような内容。

  • 訓練兵時代からハワイを観てきたが、今はアジア系、特に日本からの移民で満ちている。
  • 彼らは祖国の言葉の学校、新聞を持ち、運営している。
  • その日系人達のアメリカに対する忠誠心に対し、自分は疑問を抱いている。
  • 二重国籍、そしてマッシー事件の経緯から、ハワイの政治、裁判所が東洋人やその混血によって占領されていると認識した。
  • 彼らは今や大きな影響力をハワイに持ち、議会に代表を送り込んでいる。彼らは立州を強く支持。そうした彼らが政府を制圧し、いつか日本人の血を引く者を知事として選ぶこともあり得るのである。
  • 古くからのハワイの住人(宣教師の子孫、王族の子孫)はハワイの所有権を持っているかのように考えている。その彼らがこの状況を異常と考えていないのが不思議である。
  • アメリカの安全を考えるうえでハワイの太平洋における重要性が高まるなか、その立州は計り知れない危険を伴うものである。

正確性に自信はありませんし、重要な箇所をすっとばしているかもしれませんが、大意は以上のようなもの。

この1939年、スターリング提督は「SEA DUTY」という回想録を刊行。

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読み比べるもないことですが、上記雑誌の投稿は上記回想の抜粋ともいえるものであり、一種の広告の役割を果たしているかもしれません。

彼のプロフィールと考えがPBSのサイトに要領よくまとめられていますので、リンクを張らせていただきます。

external-link-16People & Events / Yates Stirling Jr. (1872-1948) (PBSのThe Massie Affairサイトから)

本書を例によって斜め読みしているのですが、彼の体験、背景(歴代海軍)、兵士の眼から日本帝国のロシアに対する圧勝、中国への怒涛の進撃を観てきた彼が危機意識を持つのも少しばかり理解出来るような気もします。

彼の日本人への見方(偏見?)は蔑視というよりむしろ、畏怖に近いものが有るように思われます。(浅海の英語の力では細かいニュアンスが読み取れないのですが)

「SEA DUTY」の第15章「OUR FRIENDS THE JAPANESE」では、彼の危機意識が詳細に語られ、そして、

ハワイは主として旧来のハワイ独自の価値観に影響されていない白人種、陸軍、海軍から特別に選別された士官が含まれるアメリカ本土の政府によって統治されるべきである。p233-p234から抜粋

という意見が公開されたとき、「中国人や他の東洋人は沈黙を保ったが」「日系の人々を喜ばせなかった」。

本書では特に二人の「著名な日系アメリカ人」の名前を挙げてその反論を紹介しています。一人は下院議員Andy Yamashiroさん。アンディ―・ヤマシロさんについては以前にも紹介、リンクさせて頂いた物部ひろみさんの論考を再度読んで頂いたほうが良いでしょう。スターリング提督の主張も引用されています。171頁目を参照ださい。

external-link-16『戦間期ハワイにおける多民族性と日系人の「位置」-先住ハワイ人との人種関係における一考察-』

同じ物部ひろみさんの別の論文(上記をベースにし、新たに記述された英文の論考)にもアンディ―・ヤマシロさんが紹介されていますので、そちらにもリンクさせて下さい。

external-link-16「From “Vanishing Race” to Friendly Ally:Japanese American Perceptions of Native Hawaiians during the Interwar Years」The Japanese Journal of American Studies, No. 23 (2012)から

「SEA DUTY」によれば(この翻訳は特に自信ありません)

(スターリングの意見は)彼を「a pain in the neck」うんざりさせたようで(中略)、もし、ヤマシロが日本にいて(スターリングと同じような立場の)日本の提督が不用意にこのような発言をすれば、それが命取りとなるだろう。

と評論したようです。

もう一人、名前が挙がっているのがWilfred Chomatsu Tsukiyamaさん。ツキヤマさんは当時郡検事でHawaiian Japanese Civic Associationの会長であった人物。彼はハワイで初めて弁護士となった一人でした。。

external-link-16「Former chief justice a proud, loyal nisei」Honolulu Star-Bulletin紙サイトから

上記リンク先にある「時の海軍提督への反論」は、つまりスターリング提督のことですね。

「SEA DUTY」では約半ページ程使って(p235)彼の反論を引用。大意は以下のとおり。

軍でハワイ諸島を掌握しようという提督の意見は”bunk”(たわごと?)である。第一に彼には日系人の忠誠心を疑う権利が無い。彼は日系人となんの接触もせず、コンタクトは日本の領事館との限られた機会のみである。もし、忠誠心への疑念が例えばジャッド知事(彼はハワイで生まれ育った)や前のファーリントン知事によって唱えられたのだとしたら少しは重みをもちようが、提督のような人物からだと話は違う。彼は海軍基地で数年を過ごしたに過ぎないのだ。

数千に及ぶ日系人が第一次世界大戦時に家族とビジネスをなげうってアメリカに協力した。それこそが日系人がアメリカのシチズンシップを誇りに思っているということの言うまでもない証明なのである。

こののち、スターリング提督は二人が二重国籍の持ち主(日本人の親に生まれたら当たり前のことでしたが)であったことと、それをめぐる日本領事館と邦字新聞のゴタゴタをもってかえって日系人の忠誠心への疑いを深めたとしています。

上記のツキヤマさんを紹介するリンクには触れられていませんが、彼は総領事館で日本国籍を放棄することになるのですが、これが明らかになった時、日本総領事は邦字新聞に非難されることになります。

上記の「Liberty」誌ではこれが「島の40%に上る住民がいまだに祖国に忠誠心をもっているという事実に目を開かされた」という表現になっていますし、「SEA DUTY」では

It was my turn to laugh.

という表現につながっていきます。(p.235)

ツキヤマさんは日米間の緊張が高まったおり、検事局を辞職。戦後1946年から59年まで議員を務め、最後の6年は州上院の議長に。1959年ハワイ立州二か月後にハワイ最高裁判所長官に任命されます。(Encyclopedia of Japanese American History: An A-To-Z Reference from 1868 to the Presentupdated Edition p.394から)

本当はジャッド知事との関係にもっと触れるはずでしたが、力が尽きました。

(ここで挙げた訳はスターリング提督の書いたものに依存していますし、相変わらず、翻訳に自信ありません。誤りがある可能性が有ります。)

 

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