The Honolulu Martyrdom ホノルルでの受難

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マッシー事件については不快なことばかりなので、あまり深追いしたくないのですが・・・。アメリカ海軍スターリング提督とジャッド準州知事の関係を述べていくのに必要なので、当時の雑誌に掲載されたある手記を紹介させて下さい。

この事件を整理すると二組の犯罪とその裁判から構成されます。

・マッシーに対する暴行事件とその裁判

・上記の被告とされた現地ハワイの若者に対する傷害・殺人事件とその裁判

後者の事件に主導的役割を果たしたマッシーの母親、フォーテスキュー夫人が、事件後、「Liberty」誌に三週にわたって手記を発表。これは多くの書のソースとなっています。現在の視点からすると不快極まりない読み物なのですが、当時、もし自分が本土にいて数少ないハワイの知識のなかでこの手記を読んでいたら、どのような感想を持ったでしょうか。そう考えると、恐ろしくなります。

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この号では計画から犯行実行までが語られます。どこまで真実なのかを検討するのが目的ではないので、多くを語りませんが、若者を連れ出すのに用いたという偽の召喚状(逮捕状)はフォーテスキュー夫人が自ら作成したというのですが、実に稚拙なものです。この犯行には海兵二人が加わっていましたので、彼らから逃げられないと観念して連行されたと思うのが自然かと。

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この事件の再検証が進んだ今、夫人への印象は上記のイラストとは大きく異なっています。とくにハワイの人々にとって、このイメージとは全く異なるものを抱いているはずです。

多くは語る必要はありません。以下にリンクを張りますので、是非、「Honolulu Magazine」の2008年4月号表紙とその記事をご覧になってください。特集はハワイ史の中の「悪漢・悪役」で、逮捕時のフォーテスキュー夫人写真が用いられています。

Rogues, Rascals and Villains 「Honolulu Magazine」の2008年4月号から

会わせて、2005 年前後、この事件に関する著作が刊行され、ドキュメントタリーが作成されたのを受けての「Honolulu Magazine」もお読みください。

The Crime That Changed the Islands「Honolulu Magazine」の2005年4月号から

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翌週号では逮捕から裁判が始まるまで、高名なクラレンス・ダロウが弁護士と決まるまでが語られます。

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このページ上段に写真の掲載があるスターリング提督は犯罪に加わった4人(マッシーの夫、フォーテスキュー夫人、写真にある二人の海兵)は海軍の監督下にあるべきと主張。

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第三週では判決から一転して釈放となるまで。

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陪審員が多民族で構成されており、公正な審判が期待出来ないことがこの最初のページで示唆されています。左下の写真が陪審員達です。

この記事はかなり駆け足で記述されており、とくに一転して10年の重労働から釈放に至るまでの記述はあっけないほどです。釈放したジャッド準州知事への礼の言葉は見当たらず、本土からの支援への感謝が述べられて記事は終わります。

なお、この雑誌記事の要約がPBSのサイトに掲載されていますので、そちらも参照ください。

The Case File -Joseph Kahahawai’s Murder (PBS American Experienceから)

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