HAWAII:PIVOT OF THE PACIFIC

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手元に「HAWAII:PIVOT OF THE PACIFIC」という小冊子があります。コネチカット州立図書館の1940年2月の印がありますが、1939年に刊行されたもののようです。下段には「前準州知事ローレンス・M・ジャッドによる講演」と。

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ジャッド前知事の回想録には今まで触れてきたLiberty誌上を借りたスターリング提督との「論争」にまったく触れていません。(見落としている可能性はあります)

ただ、ハワイ州実現に向けて1938年8月から1941年3月にかけて多くの州で300回もの公演、対話集会を行ったことが書かれています。(p.233)

聴衆に向けて、なにが事が有った場合のための、ハワイは太平洋の要害(the pivot in the Pacific)であると訴えた。のちに1941年12月に示されたように。(p.234)

pivotを辞書でひくと「かなめ」「軸」といった意味のようですが、今まで触れてきたように軍事的、戦略的な意味がありますので、要害とか戦略拠点とか訳すほうが良いでしょう。(特にPacificとの組み合わせでは・・・。試しに「Pacific」「pivot」の二語でググってみて下さい。画像の検索をしてみるとより判りやすいですね。今は対中国関係の影響で軍事的な画像が増えているのかもしれませんけど。)

この演説に目を通してみると、主に経済面での平等を目的としての立州の訴えであったようです。時のハワイ産業の主軸であった砂糖耕地主の意図を汲んだ行動であったことが回想録と読みあわせることで明らかに。タイトルどおり、戦略的な重要な拠点であることも訴えていますが、むしろそれは州に昇格するための材料としている観があります。

ハワイを拠点にすれば飛行機によって極東、南太平洋まで足を延ばすことが可能だ。これはハワイ抜きには不可能である、というような記述も見られます。

(ちょっと面白い写真をみて下さい。Hawaii State Archives のサイトで観ることが出来ます。external-link-16Navy flier and dignitaries after the flight from San Francisco, including Gov. Lawrence M. Judd. 1934年1月にサンフランシスコから24時間かけてフライトしてきた時の様子とのこと。この時が初めてのアメリカ本土からハワイへの ノンストップ編隊飛行だった由海軍高官の歴々とともにジャッドが撮影されています。スターリング提督が写っているかははっきりしませんね。1934年までハワイに勤務していたとありますから、可能性はあります。でも、マッシー事件が1931年ですから、彼らの「蜜月」期間は過ぎていたでしょう。)

講演の内容はLiberty誌でのジャッドの主張を補完、拡張した内容ですが、意図が産業、経済の保護拡大であったことがより鮮明になっていると浅海は感じました。

講演記録が1939年に刊行されたのは、ひょっとするスターリング元提督に対抗するためだったかもしれませんし、もしくは緊張高まる世界の時勢に合わせてのことだったかもしれません。

回想録によれば各地の新聞社に積極的にアプローチしたようで、断片的ではありますが、その成果をインターネットから拾ってみましょう。

external-link-16Desire For State (Oregon州のThe Bend Bulletin 1940年11月1日付紙面)

external-link-16Ex  Hawaiian Head Talks Here Nov. 1  lawrence M. Judd. former governor of Hawaii… (The Capital Times from Madison, Wisconsin 1939年10月19日付紙面。わかりにくいですが、講演タイトルが「PIVOT OF THE PACIFIC」とあります)

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