Princess Abigail Kawananakoa

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先日、「The Hawaiian Journal of History」をオンラインで検索、読むことができるようになったことをご紹介。早速僕も一つの記事を読み始めたのですが・・・。いやいや、のっけから面白いというか微妙というか。

浅海が最初に選んだのは「Princess Abigail Kawananakoa: the Forgotten Territorial Native Hawaiian Leader」という記事。2003年のVol37に掲載されたもの。

Princess Abigail Kawananakoa: the Forgotten Territorial Native Hawaiian Leader

実は記事を読むまで浅海もピンと来ていなかったのですが、Princess Abigail Kawananakoa、あのタリア・マッシー事件で名を残した人物の一人でした。

皆さん、タリア・マッシー事件をモデルにした小説「楽園の涙」を読まれたでしょうか。(ノーマン・カタコフ著/扶桑社ミステリー文庫/松本みどり訳)

この小説、原作刊行時にはアメリカでベストセラーになり、テレビドラマも制作された小説です。原作は比較的、事件に忠実に描かれていたのですが、テレビ版は、とくに後半はかなり改変されており、僕はがっかりしてしまいました。

それはともかく、この小説で読者に強い印象を与えるのがプリンセス・ルアヒーネ。地元の若者達の側に立って。金銭面など様々な助力をします。

55歳になるプリンセスは退位を強要されたリリウオカラニ女王の家系の最後の一人、王位継承権では第二位だった。王朝が侵入者-プリンセスはアメリカ人をこうとしか呼ばなかった-に降伏し、彼らが主導権を奪ったとき、彼女は十八歳だった。(松本みどり訳「楽園の涙」上巻193ページから)

テレビ映画版でも彼女の存在は視聴者に強い印象を与えます。以下はその一場面。

テレビ映画「Blood and Orchid」の一場面
テレビ映画「Blood and Orchid」の一場面

このプリンセス・ルアヒーネのモデルになったのがPrincess Abigail Kawananakoaでした。もちろん、その役割、キャラクターは小説のために作り上げられていますが、実際、時の準州知事、ジャッドに対して「ハワイには選ばれた少数のための正義と、一般の人々のための正義とふたつの正義があるのか」と強い怒りをぶつけたのは確かです。

Princess Abigail Kawananakoaは1882年生まれですから、マッシー事件の1931年には49歳ということになりますね。彼女は裕福な白人資本家の父と、ハワイ人の血を受け継ぐ母親の元に生まれます。1902年にPrince David La’amea Kahalepouli Kawananakoa Pi’ikoiと結婚、また母の再婚によって、Prince Kuhioを義理兄弟に、Colonel Samuel Parkerを義理の父を持つことになります。ここで気が付くように、彼女は白人のかなりの額の資産家としての価値観と、ネイティブ・ハワイアンの価値観双方を持ち合わせていたのだろう、ということ。

小説のプリンセス・ルアヒーネは王朝転覆後はハワイ島にひきこもり政治とは距離をおいて生活している(しかし、ハワイの人々の尊敬は勝ち得ている)設定になっていますが、この記事によれば実際のプリンセスは共和党に所属し、婦人の権利確立に力を注いだようです。Prince Kuhioの死後は、彼に代わってNative Hawaiianコミュニティのリーダーと期待されるようになります。実際、外交面でそれなりの役割を果たしたようですね。

マッシー事件において本土におけるハワイ人に対する反感が高まるとみると、自費を投じてその誤解を解く記事を書かせたり。

これとは別に50%以上のハワイ先住民の血を引く人々に土地を返却する運動、生活の建て直しを援助するプロジェクトを進めたりもしていたようです。

第二次世界大戦中、日本は形だけで終わったハワイ占領計画において、Princess Abigail Kawananakoaをリーダーとして擁立するシナリオを作成します。

ハワイの君主制の復活を提案した時、黒川の考えにあったのは、おそらく、満州やモンゴルの例であった。
『ハワイ王朝の復興によりハワイの治安と国防に当たらせることも一策であらう』
さまざまな地域的状況に鑑みて、黒川はこの戦術を実践的として採択したのである。彼は王家一族の子孫がハワイの主だった島すべてに生存している事実を指摘している。次に彼は、ハワイ人は政治にたけ、他民族の尊敬をほしいままにしていると判断している。彼が例として挙げているのは「ルーズベルトの反対党である共和党の有能なる指導者」であるホノルルの王女カワナナコア、それに「ヒロの市長」である本島のサミュエル・マフカ・スペンサーの二人である。(John J. Stephan, Hawaii Under the Rising Sun: Japan’s Plans for Conquest AfterPearl Harbor (Honolulu: U of Hawai’i P, 1984 の邦訳である「日本国ハワイ-知られざる「真珠湾」裏面史」/J・ステファン著/竹林卓 監訳/ 恒文社 1984 244-5ページから)

本書では注釈として王女カワナナコアをこのように紹介しています。

王女アビゲイル・カワナナコア(1882-1945)はホノルルの裕福な事業家ジェームス・キャンベルの娘で、1902年王子デヴィット・カワナナコア・ピイコイ(1868-1908)と結婚した。彼はカラカウア王のいとこであるとともに、カピオラニ王女の甥であり、カウアイ最後の独立王カウムアリイの偉大な孫であった。王女カワナナコアは、1924年と28年の二回、共和党のハワイ代表国民委員に選出されている。(同書 245ページから)

先に引用した文章の「黒川」とはColbert Naoya Kurokawaのこと。1890年に千葉に生まれた彼は15の時に叔父を頼ってハワイに。ホノルル到着時には15セントしかポケットに無かった。しかし、仕事で成功した彼はホノルル・ライオンズクラブに日本人として初めてメンバーに。しかし、日本に帰国中に第二次世界大戦が勃発。彼の回想によれば「抑留かパスポートの没収か」を迫られたという。その二年後には「東京の薬学調査局」に職を見つけているが、この間の経験を『今思い出しても私をぞっとさせる』と回想。しかし、上記のような計画を立案、提供していることを考えると、かなり謎の多い人物です。

さて、このようなハワイ占領計画ですが、ミッドウェイにおける大敗後は急速に研究熱が冷めてしまったようです。すくなくとも「日本国ハワイ-知られざる「真珠湾」裏面史」を読むかぎり具体的な動き、働きかけがあったとは思えませんし、可能だったとも思えません。

もし、プランが実施されたとしたら彼女、、Princess Abigail Kawananakoaは呼応したでしょうか。この記事では否定的です。彼女はハワイの日系社会に不快感を持っていたらしく、Samuel Wilder Kingへの手紙でこのような表現をしていたとか。「nasty little Americans of Jap ancestry!」(文脈の流れも判らないのですから、あまり過剰な反応をされませんように)

この記事から離れますが、小説には歴史改変ものというジャンルがあります。広義にはSFの一種ですが、最近の成功作、話題作では「ユダヤ警官同盟」がそれにあたります。

アメリカではこのジャンルの達人と呼ばれている作家がいるそうで、そのHarry Turtledoveの作品に「Days of Infamy」シリーズがあります。僕はてっきり真珠湾攻撃のドキュメントと思い込んでいたのですが、ハワイを日本軍が占領していたら、という歴史改変小説なのだそう。この小説のなかで、Princess Abigail Kawananakoaは日本から王権回復の申し入れをされるのですが、傀儡政権になることを嫌った彼女はこれを断る設定になっているそうです。

Days of Infamy (Pearl Harbor)
End of the Beginning (Pearl Harbor)

さて、この記事、「Princess Abigail Kawananakoa: the Forgotten Territorial Native Hawaiian Leader」の最後では、彼女の死後、妹のAlice Kamokilaikawai Campbellがその役割を引き継いだと結んでいます。そのAlice Kamokilaikawai Campbellについての別の記事も紹介して今回の書き込みを終了したいと思います。

The Anti-Statehood Movement and the Legacy of Alice Kamokila Campbell

この記事のなかで、ハワイ立州の流れの中で、それに逆らう運動、意見表明を続けたAlice Kamokilaikawai Campbellを紹介しています。長くなるので、この記事から彼女の日系社会に対する見方の部分だけを紹介することにしましょう。何故、彼女、いやこの姉妹がこのような考えに至ったのかを考える材料として引用するもので、これをもってハワイ全体の、いやハワイ人がどうこうということに結び付けてほしくありません。

1930年代をサンフランシスコで過ごした彼女は39年にハワイに戻ります。当初は立州に賛成の立場であったのですが、第二次世界大戦が彼女の意見を変えてしまいます。ハワイの日系人を信頼しないとして、戦時中の戒厳令を支持したのです。

戦後、日系社会の政治参加とその発言力アップにも懸念を示し、第二次世界大戦中の二世部隊活躍にもなんの感銘を受けなかったこと、アメリカ本土での日系兵士の活躍評価は日系人のエゴを甘やかせるものだと発言。Honolulu Advertiser紙は聴衆にいた200名ほどの若い日系人を凍りつかせた、と報じたそうです。

長くなりすぎました。

誤解されたくないのは、ここでハワイの人々の見解を決め付けようという気持ちは無いということです。歴史上、こういう動きもあったということの紹介です。ただ、正直ショックであったのは確かですが。

2件のコメント

  1. おお、よくぞ書いてくださりました。そうなんです。実は僕も混乱してしまって。
    ググってみると以下のページがヒットするんです。僕自身はマッシー事件の同時代という意識しかなかったので、動画を以下のニュース映像を観たときに頭が???だらけになってしまいました。
    http://kgmb9.com/main/index.php?option=com_content&task=view&id=15526&Itemid=245
    もちろん、聞き取れたわけではないですが、キャプションだけでも彼女が初代の姿勢を受け継いでいるように思われますね。
    以下のようなカリカチュアもありました。
    http://www.pritchettcartoons.com/abigail.htm

    Alice Kamokilaikawai Campbellの記事によればハワイ音楽関係で有名とありますね。むしろフラ、音楽方面でよくご存知の方がいらっしゃるかも。

    しかし、この姉妹の「日系人、日本人を父祖にもつ人」への反感はどこから来るのでしょう。もちろん、真珠湾攻撃があったからでしょうけど、それだけで説明できるとは思えないんです。機会あればもうちょっと追ってみたいですね。

    タリア・マッシー事件についてはこれからも触れていきますね。

  2. マッシー事件について知らなかったので、とても勉強になりました。詳しい解説ありがとうございます。
    アビゲイル・カワーナナコアさんというお名前、代々世襲があるようで私は存命中の方のことを調べていて、その先代、先々代のことを知りました。初代がこんな方だったなんて知りませんでした。マッシー事件の本もぜひ読んでみたいです。

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