Hawaii becomes a State 1959

Pocket

ハワイが州となって50年。自身の50回目の誕生日が来月、やれやれ、大台にのっちまうぜ。

叔母がやはり結婚して50年という節目の年。結婚して一年くらいヒロに住んでいたとのこと。「うらやましい」とメールに書いたら、「夜になるとどこも開いてないし本当に田舎町と言う感じで楽しみと言えば日本映画を見に行く事くらいでしたね。」と。おおおお・・・。実際、その時代にヒロに住んでいたら同じ感想を持ったかもしれない。

youtubeで遊んでいたら、1959年のハワイの動画がいくつか・・・。また、時間を忘れてしまった。

・Aloha Hawaii! Statehood Celebrated 1959/03/16

30秒過ぎくらいのアナウンスに耳をそばだててくださいね。50年代のアメリカであることを意識させます。

・Hawaii Governor–What’s My Line
http://www.youtube.com/watch?v=7KvkTY3VkIU

これは1958年7月13日に放映された「What’s My Line」というクイズ番組の映像。当時準州知事であったWilliam Quinnが登場してパネラーがその職業を当てようとします。細かいニュアンスは判らんのですけど、答えを知って観ている僕になかなか当てられないパネラーにいらいら。本土にとってハワイはそんなに遠い存在だったのかな。

William Quinnはこの後、最初の「ハワイ州知事」に。

・Helicopter Brings News of Statehood for Hawaii in 1959

これは当時ハワイに住んでいた方が撮った動画。立州のニュースをもたらすヘリコプターを撮ったものだといいます。

他にも当時ハワイに住んでいて8mmに当時の様子を記録していた方がアップしています。もちろん、その性格から個人的な記録ですけどね。

・Hawaii 1959 (Hawaii 8mm videos taken in 1959)

・BREAD “Make It With You” Hawaii ’59 Instrumental by Scott Wigley
http://www.youtube.com/watch?v=vvhxOYFGDh8

2件のコメント

  1. 書かれているとおり、アメリカに出会わないままに熟成されたハワイ文化があったとしましょう。それが私たち日本人や、世界の人を魅了するものになったか・・・。様々な要素があったでしょうから簡単に結論を出すことは出来ませんが、それらは、今この現実世界で観るフラ、音楽とは違ったものになっていたでしょうね。ハワイ先住民の方々の抵抗運動に目を向けながらも、様々な文化の影響を受けた音楽の果実をありがたく享受する僕らが確かに存在しているんです。
    失ったものは取り返せない。その失ったものへのまなざしを忘れずに、新しい世界でその精神を音楽などの形で伝えられるなら「得られたことも大きかった」といえるのかも・・・。
    教えて頂いた「IN HILO TOWN」、冒頭だけ視聴しました。いやあああ。いやほんと大人のジャズ、ブルージーな雰囲気。いきなり小雨のヒロの町が目前に浮かんできます。頭の中のバーチャル・ヒロ世界のテーマソングになりそうですね!。(こんど、このアルバム探します。ありがとうございます)

  2. アメリカという国がなければ、ハワイは今ごろどんな風、どんな存在になっていたでしょうね。歴史のことを話すときに「たら」「れば」はないけれど。アメリカによってハワイの人々が失ったもの、得たもの、どちらが多かったのだろう?なんて、つい考えてしまいます。
    ハワイ音楽が大好きな私としては、アメリカや欧州との交流が、もともと素晴らしい資質のあったハワイの人々の音楽的特性の、目覚ましい進化の原動力になったのではと感じますが。まあそれはあくまで音楽に限ったことなんですけど。
    浅海さんの日記を読んでいてつい連想したのが、エイミー・ハナイアリイのアルバム《AMY》の13曲目に入っている「IN HILO TOWN」です。全然ハワイアンじゃない、ジャジーなバラードですが、とても素敵です。
    二度ほど通過しただけでまだ滞在したことのない雨の町HILOへの憧憬がつのります。
    そうそう、平野恵理子さんの本も素晴らしかったですね。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です