クアロア・プランテーション

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そうだ。今回のハワイ行きで出来ればクアロア牧場に行きたいって書きましたよね。でも、やはり人気の場所だけに、なかなか予約が難しく、断念しました。まあ、次の機会にはぜひ。

さて、そのクアロア牧場の前身が、サトウキビ耕地であることを何度となく書いてきたのですが、そのオアフ島でも初期の耕地で、日本人移民が働いていたのかどうか。まず、間違いなく日本人移民が働いて居ただろうと思ってはいるのですが、今までそれを明確に示す資料、本の記述を見つけられないままでした。

でも、ですよ。あの有名な「移民百年の年輪」にちゃーんと記述があったんですね。うーん。不精せずに図書館でもなんでも行って調べるんだった。(縁あって別の箇所を読む機会はあったのですが・・)。本書によれば・・・

1869年2月にワイルダー砂糖耕地に働く日本人労働者29名が待遇改善を求めて移民委員会に提訴、公聴会の結果、彼らの要求の一部が認められることとなった・・・。

このワイルダー砂糖耕地こそ、クアロア・プランテーション、つまりクアロア・ランチの前身でした。引用します。「当時布哇の資本家ダクター・ゲーリット・ピー・ジャッド、その息子のチャーレス・エッチ・ジャッド大佐、及びサミュエル・ジー・ワイルダーの三名により1863年(文久二年)に、裏オアフ、コーラウ地方クアロアに興されたもので、これは明治元年者が来布する五年前の創業であった。」

時代から言ってもおそらく元年者であろうな、とは思っていましたが・・・。本書によれば「明治元年者153名中の20名は、家庭奉公のためホノルルに止まり、25名はカネオヘ耕地へ、36名が、このワイルダー・プランテーションに配属されたのであった。」とあります。

うーん。なんだかあっけないな。別のソースでもあたってみよう。

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