訂正と追記

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最近書き込んだ記事への訂正と追加情報をまとめて書かせてください。

・「野球とクジラ -カートライト・万次郎・ベースボール-」

 以前、この本を注文したと書きましたが、先ほど届きました。パラパラとめくっているのですが、いや、期待以上に面白いです。で、カートライトについて捕鯨船に乗ったことがある、と記事で書きましたが、まったくの僕の勘違いでした。申し訳ない。出身地のナンタケットでの父親までの家業が捕鯨で、父親もやはり捕鯨船の船長をやっていたらしい。しかし、このカートライト自身は銀行員。ひとやまあてようとサンフランシスコまでやってきたところで体を壊し、金鉱は諦めて気候の良いハワイで保養しようとしたとのこと。

で、僕はハワイに来るときに捕鯨船に乗ったと思いこんでいたのですが、そうではありませんでした。普通の帆船であったようで、それでも酷い船酔いに苦しめられた彼はもう二度と海を渡らないと心に決めたのだとか。

僕は捕鯨関係でビジネスパートナーが多いようだったので、捕鯨船に乗ったと思い込んだのだと思いますが、実際ハワイで独立後に行ったのが捕鯨船のエージェントだったそうです。なるほど・・・。

そして、面白いことに彼が最初に手がけたのがハウランド家の仕事だったのだそうです。そう、ジョン・万次郎を助けた「ジョン・ハウランド号」の船主ですね。わくわくするなあ。以降、本書を読み終えてからまた書かせてください。

・「アロハ!メレ・ハワイ 日本ハワイ音楽・舞踏史」

先日、夜眠れないまま早津敏彦著「アロハ!メレ・ハワイ 日本ハワイ音楽・舞踏史」を開いていましたら、最近の書き込みに関係するいくつかのことに目が留まりました。

(1)漂流民の記録

 著者は仙台の津太夫、長者丸一行、万次郎、ジョセフ・彦などの記録にハワイ音楽の記述を探したそうですが、見つからなかったそうです。ただ、万次郎らが提出したもののなかに、アメリカ本土で出会ったという「金山歌」なるものが紹介されていて、これはゴールド・ラッシュのさなかアメリカで歌われた歌で、フォスターの「おおスザンナ」の本歌になったものだ、といいます。

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(2)Maiki Aiu Lakeの教え子、衛藤かをりさん

 フラの伝統を系統だてて、同時にフラの教授法と制度を確立(表現が誤っているかもしれませんが)したMaiki Aiu Kakeについてのドキュメンタリーを観た直後であったので、この名前に反応してしまいました。日本のハワイアン歌手の一人である衛藤かをりさんは1961年にハワイに渡ってジョニー・アルメイダに師事、フラについてはマイキ・レイクについて勉強した、とあります。おお、ということはロバート・カジメロと一緒に踊ったことがあったかも。

 本書によれば彼女、衛藤かをりさんは『人の歌わない古典に取り組んで、』(中略)『日本には。徹底したクラシック・ハワイアンを歌うのは彼女だけ』であるそうです。

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