「エヴァ・ライカーの記憶」読み終わりました。
確かに凝った構成で面白く読めました。途中で記憶がよみがえるかなと思ったのですが、まったく・・・。自分の記憶力が情けなくなります。まあ、ハワイが登場するのは冒頭だけ。しかもプロット上で大きな意味をもたないので、僕の記憶から消えてもしょうがなかったのですが。
本書が斬新であるのはタイタニックの悲劇をうまいことミステリに組み込み(おそらく当時の研究を盛り込んで)、リアリティたっぷりに沈没の様子を描きこんでいることでしょう。しかも無駄に知識を盛り込まずテンポ良く描くことに成功しています。(ヒットした映画「タイタニック」はこの小説を少しは意識しているかも)
以下はネタバレの記述がありますので、これから本書を読もうというかたにはお勧めできません。
ただ、今の読者はもっとひねった、あるいは凝った構成の長編ミステリに慣れているのであまり評価しないかもしれませんね。過去を明らかにするために催眠術を使うのも、その成果に疑いがもたれている今となっては効果的と言えません。
当時、本書の読者を魅惑したのは主人公を巻き込む真珠湾攻撃直前のホノルルでの殺人事件、現在、暴かれたタイタニック上での殺人、そして再び現在という構成、意外な展開といった要素だと思います。
著者がなぜホノルルを冒頭の舞台にしたのか、というと、「タイタニック」と「真珠湾攻撃」というディザスター(災害)のなかでの殺人ということで結び付けたかったからのようです。本来であればハワイ生まれである主人公のキャラクターをもっと掘り下げたかったのでしょうけど、おそらくは分量を考えてそこらへんの描写、プロット上の記述を削除したのでしょう。この関係性は主人公の口から軽く触れられるだけとなっています。
日本人の我々にとって「真珠湾攻撃」をタイタニックと同列に考えることは難しいのですが、アメリカ人には無理なことではないようです。作家マックス・アラン・コリンズには<大惨事>シリーズとして、「タイタニック号の殺人」に続いてヒンデンブルグ号の爆発、真珠湾攻撃をテーマにしていますし、映画「パール・ハーバー」は宣伝や音楽の使い方など明らかに「タイタニック」の柳の下のドジョウを狙っていました。
この二つの悲劇の関係性はハワイの箇所を深く描きこめなかったせいで本書では成功していませんが、テンポという面で犠牲にした甲斐はあったといって良いでしょう。
読み終えて、本書のタイトルだけが浅海の記憶にのこった理由がわかりました。今でもそうですが性的な暴力が描かれた小説、映画は苦手でフィクションであっても読後感が苦くなります。本書を読んだときはもっと苦手であったはずで、タイトルのヒロインを襲った悲劇に衝撃を受けたのだと思います。これを思い出した今となっては単純に「面白かった」と書くのはためらわれますね。