ヒッチコック家とジャッド家

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ヒッチコック家について、もう少しだけ。
自分はドクター・ジャッドを初めとするジャッド家の物語をハワイの歴史の案内役として追って来たが、実はヒッチコック家が自分の思っている以上にジャッド家に近しいことを知った。
当初は今まで書いたとおり、裁判での裁判長(先に書いてきた裁判の裁判長はドクター・ジャッドの息子)、検事役を務めたヒッチコック、つまり同じ法曹界、そして同じように宣教師を祖に持つという共通点でだけ捉えていた。実はもっと深いつながりが。

両家の関係を説明するのは面倒で、それこそ〈ファミリー・ツリー〉を描いた方が良いのかも。

ドクター・ジャッドにはローラ・フィッシュ・ジャッドという娘がいた。母親の名前をついでいるのでまたややこしい。(彼女はカラカウア王の随員として世界を回り、日本にも来たチャールズ・ヘイスティング・ジャッドと一緒に双子として産まれている)。その彼女がジョシュア・ギル・ジャクソンと結婚。産まれたのがへスター(ヘッシー)・ジャッド・ジャクソン。

その彼女と結婚したのが実は今まで何度も言及して来た画家のデイヴィッド・ハワード・ヒッチコック。彼女はプナホウで同窓だったという接点は有ったものの、片方はパリへ留学、彼女には破綻したとは言え婚約者がいたくらいで最初の出会いから1898年の結婚までかなりの時間が経っていた。ここら辺の事情は画家の伝記であり、画集でもある以下に詳しい。(編著者は彼の娘さん)

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早くに両親を亡くした彼女と画家という不安定な職業であるハワードにはジャッド家、ワイルダー家の有形無形の援助が有ったらしいことが見て取れる。例えばワイルダー家が経営していた島間の汽船会社の船にはデイヴィッドの絵が飾られていた。

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この写真にはジャッド家の集まりにおける画家の姿が写っている。キャプションによれば前の階段に座っているのがハワードらしい。(ジャッド家の集いにはクアロアがよく用いられていた。この写真もそう。今のクアロア・ランチですね。)

ジャッド家と画家の関係を示すものをもう一つ。これはドクター・ジャッドを曽祖父として持つ人物の回想録。(えーっと、彼の母親が先ほどのヘッシーと姉妹になる)

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画家ヒッチコックの甥にあたる著者は幼い頃から親しく接して居り、肖像画も描いてもらっている。上に掲げた表紙も、元は著者の蔵書票の為にヒッチコックがスケッチしたものだという。(蔵書票には熱心なコレクターが多いので、彼のデザインしたものは垂涎の的となったでしょうね。)

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