The Goto lynching incident とヒッチコック・ファミリー

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先の書き込みの続きを。

高名な画家ヒッチコックの父親が関わっているにも関わらず、この殺人事件と彼を結びつける記述は少ない。少なくとも僕が目を通した範囲では。

森田栄著「布哇五十年史」には以下のような記述があるという。

当時ヒロの良検事として剛直の聞えありしヒチコック氏は、今の有名なる画伯ヒチコック氏の兄弟であるが、公平なる人物なりし故、種々と犯人捜索に助力せし結果、漸く真犯人を逮捕したが(後略)

このような記述をやっと見つけたくらい。しかも兄弟と誤っている。実はこの殺人事件が起きた当初から関わってきたシェリフ、Edward Griffin Hitchcockがヒッチコック検事の兄弟であり、それと混同しているのだろう。

この事件が起きた時にはヒッチコック・ジュニアはもう芸術の世界に進むことを決めていた。もちろん、シニアは長男である彼に後をついで欲しかったのだろうが、それはならなかった。

代わりに弁護士の資格を取ったのが、シニアの娘でハワイ初めての女性弁護士と言われるAlmeda Eliza Hitchcockである。つまり、画家ヒッチコックの妹が法律事務所のパートナーとなったのだ。

彼女については、その父親、そして父祖である宣教師に遡って詳しく記述した「Almeda Eliza Hitchcock—Wahine Loio, or Lady Lawyer」という資料が有る。是非、目を通して頂きたい。

その彼女、果たしてこのリンチ殺人事件の裁判に関わっていたのだろうか。

オンラインで読める「The Lynching of Katsu Goto」の記述と読み比べると興味深いことに気がつく。

この裁判が始まったのは1890年の5月。この時期にAlmedaが書いた手紙が引用されている。

巡回裁判が5月にここで開廷した。残念ながら私は重要な役目を果たすことはできなかったが、特に最後の方は多いに注目を集めた裁判だった。4人の男性、アメリカ人が罪に問われており、父は検事として、私はホノルルの新聞社にレポーターとして雇われ、他のライバルと競って最新の情報を伝えようと電話にかじりついた。

かなり不正確な訳で申し訳ないが、ここで言及されている裁判が後藤潤の裁判で有る可能性は高いと思う。そう、彼女は犯人達を、そして正義を求めた日本人達を見ていた可能性が高い。この手紙でアメリカ人が殺人事件の被告となっていることが強調されていること、またホノルルからもそれなりに注目をされていたことが判り興味深い。

数年前にこの事件が舞台化された時には「忘れられた事件」として報道されたことを思うと意外な気もする。ただ、当時注目を集めたのも真相を究明し正義を求めた人々がいてこそ、であること、後藤という人物が居たということを忘れてはならないと思う。

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