1966年のハワイ旅行 パート1

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以前、父の残したハワイ旅行の8mmフィルムをyoutubeにアップしてみました。

ただでさえ個人的なことを書きすぎているので、ちょっと迷いました。今回も自分を含めてカットするつもりでしたが、当初思っていたよりも残しています。僕もオバカな姿をさらしています。

写っている方々のご迷惑にならないと良いのですが・・・。

1964年に海外渡航が自由化された翌年の1966年の夏休みにハワイに行きました。ヴィザの取得やらでアメリカ大使館などを回り、手続きに大変な思いをしていたようです。ただ、僕は例のアップダウンクイズなどリアルタイムで「憧れのハワイ」というキーワードがすり込まれた世代です。そのハワイに行けるということではしゃぎまくっていました。

http://www.youtube.com/watch?v=i9qDh3n2zxs

渡航費用を節約するために行きは船になりましたが、これにはおそらく父が船が好きであったことも理由にあったでしょう。この時利用したさくら丸とその見本市船としての渡航記録については以下のサイトに詳しく、大変に参考になりました。

日々是好日 -さくら丸で渡米(1) 出発まで-

見本市船さくら丸記録

わが一家の利用した船室は二段ベッドが二組、その間に机と洗面台が配された形で、豪華客船なみとは行きませんが家族には十分な広さ。毎朝、グレープフルーツが朝食に出ました。最初こそ上品にスプーンですくっていましたが、最後にはわしっとつかんでジュースを絞り出していました。こんな下品な食べ方をしているのは我々一家だけかも、と家族で笑っていました。

ただ、食事が楽しめるようになったのは三日目以降だったと思います。それまで枕から頭を上げるだけで目が回るというひどい船酔い。父だけが元気で船内を散策していました。

プール?が写っていましたよね。ビニールでかこっただけの簡易なプールで揺れる船上では凄い波に。しかも当たり前ですが海水です。塩水を鼻にくらった僕はそうそうに退散しました。

約一週間でハワイに・・・。島影が見えてから実際にホノルル港につくまでやたらと時間が掛かったように思います。島を観ていたらなぜか船酔いがぶり返し、荷造りの準備やらでアロハタワーをしっかり観た記憶がありません。もったいない。

陸地に降り立っても揺れているような気持ちになった記憶があります。

ハワイでは父の職場の駐在の方にいろいろとお世話になりました。いろいろと連れて行って戴いたのですが、この動画ではタンタラスの丘からの光景が写っています。今よりビルの数がはるかに少ないですよね。

戦前、父が住んでいた家の近くまで行ったようなのですが、まったく記憶にないのです。情けない。

アルバムを探したところ、それらしい写真がありました。

 

 

 

 

 

 

 

左側に写っているのは徳富蘇峰の揮毫だと思うのです。

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