「電車日誌」の本田緑川さん

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周防大島の資料館で全部を読みきれなかった本田緑川さんの著作を読んで知らぬ事多いのに赤面。そうか、本田緑川さんがあの大部の『日本語学校勝訴十周年記念号』の編集主任をされていたんですね。著書にはその苦労話もありますが、誌面の半分は当時の日系事業主、個人の祝賀広告が占めていることを差し引いても、膨大な記事を集めて編集するのは大変なことであったろうと思います。(その広告だけでも一種の人名録として貴重に思います)

その日本語学校の試訴問題、自分は簡単に当時の日系人社会を二分したと書いていましたが、なにやら複雑怪奇で、二つの邦字新聞のライバル関係やら宗教間の対立など日本人側の事情が元来有って、そこにホスト社会の意図が導火線に火を付けた気配も有り。ホスト社会にばかりその原因を追うと見誤る部分がありそうです。「ハワイ報知創刊七十五周年記念誌」が大変参考になりました。

もう一つ、自分の持っているCDに本田緑川さんが関わっていることも知りませんでした。本田さんは作詞もなさっていたんですね。『電車日誌を語る』にはその歌詞も掲載されていました。

「AJA行進曲」と「いとしのかどで」。この二曲についてはCord InternationalからCDが発売されており、またディジタルで購入も可能です。

アルバムタイトルは『Paradise Honolulu :The Hawaii Shochiku Orchestra』。発売当時ちょっと話題になったので、ご記憶の方がいらっしゃるかも。このリンク先で試聴が出来ますので、よろしければ。

http://www.cordinternational.com/paradise_honolulu.htm

作曲は「別れの磯千鳥」で有名なフランシス座波さん。日系二世の作曲家で、三十五歳の若さで亡くなっておられます。モイリリ墓地に座波嘉一さんの名前のお墓があるそうです。

http://www.youtube.com/watch?v=LLTmoD1Mn-8

もう一曲、小唄勝太郎さんの来布を記念して作られた「アロハ音頭」も本田緑川さんの作詞とのことで、これはクラブ二世音楽団の伴奏とありましたからおなじCord Internationalの「CLUB NISEI」「CLUB NISEI ENCORE」を探しましたが収録されていませんでした。

「布哇松竹音楽団」の「パラダイス・ホノルル」がyoutubeにアップされていましたので、本田緑川さんとは関係無いのですが、リンクさせてください。

http://www.youtube.com/watch?v=bXT0r9stFX4

この曲の作曲家はレイモンド服部さんとなっています。これは別名で本名は服部 逸郎さん。NHKのアナウンサーをしていた方だそうですが、音楽の道をあきらめきれず、ハワイに音楽を学びに留学。(ハワイにも立ち寄った遣米使節団副使村垣淡路守範正の曾孫にあたられるそうです。あ、そういえば遣米使節団の一員でのちにその血縁者がハワイに移民した人が居たな。だれだっけ。思い出した。通辞の名村五八郎でした。彼の子孫の方の姿が写真集「A Day in the Life of America: Photographed by 200 of the World’s Leading Photo Journalists on One Day, May 2, 1986」のハワイ州のページに納められています。また、名村五八郎の写真はビショップ博物館の収蔵物になっているようです。)

上記のフランシス座波さんのお墓には服部 逸郎さんから贈られた挽歌が刻まれているそうです。

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