波乱重重八十年の回顧 当山哲夫著

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「実業之布哇」を創刊したジャーナリスト、当山哲夫さんの回顧録「波乱重重八十年の回顧」(1971年刊)を入手しました。

原稿は大まかにテーマごとに別けられているのですが、あまり丁寧に編集されていないため、つぎになにが出てくるか面白さがあります。奥付をみると印刷が1971年の6月1日、亡くなったのが同年の5月29日。刊行を待たずして無くなっています。整理が十分でなかったのはそれが理由かもしれません。もちろん、ハワイ移民史や当時のジャーナリズム等に興味あるかた、沖縄に興味或る方は手にする価値ある本と思います。

いくつかある記事で、ハワイにおける沖縄出身者への差別に胸ふさがる思いをするものがあります。例えば「沖縄娘との結婚を恥じ父親遂に服毒自殺」。マウイ島での出来事だそうですが、内容はタイトルのとおり。1957年に書かれた文章とのこと。正式に州になるわずか二年前のことですよ。また、中野さんの著作でお馴染みの曽我部牧師の文章「沖縄少年排斥に講義」。ホノム義塾に二人の沖縄出身の兄弟が寄宿したときのこと。この二人に対し、他の少年から卑劣ないじめが行われたとのこと・・・。この文章によればそういった例は他にも見られ、一世世代時代より二世世代に向けて行われた行為が残酷で執念深かったという。

その他、当人と牧野金三郎のキャラクターが浮かび上がる鼎談など面白い記事が多いです。

この当山哲夫さんも真珠湾攻撃によって抑留された一人。真珠湾攻撃当日の回想とアメリカ本土での抑留生活の記録も収められています。思いがけずここで祖父の名前を発見。マンザナールなどほど有名ではありませんが、ルイジアナの基地に作られた抑留地で、日系人だけではなく、ドイツ人、イタリア人もここに集められたそうです。

そのキャンプ・リビングストンでは祖父と一緒であったらしい。「追分『リビングストン』 浅海青波作」として以下が引用されています。

○松は緑の色濃く映えて 朝日輝くひんがしの空の彼方は我が日の本の 夢にも忘れぬ父母の国。銃剣に追はれ追はれて、わが同胞が、集ふ配所の憂き思ひ。遠い異国に囚われの身も、やがて花咲く春を待つ。

リビングストン 短歌会同人というのがあったそうなので、そこでの作でしょうか。

収容生活回想の最後のほうで以下の文章も見つけました。

◎愈々明日より向う三日間KP勤務、神の御加護を祈り奉る。浅海兄へステッキを造りて贈る。

そうとう親しくして頂いていたのでしょうね。

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