「米国初期の日本語新聞」

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帰宅時、新宿駅西口で開かれていた古書市にふらふらと立ち寄ってしまいました。あまりお金も気力も無いので丁寧には見なかったのですが・・・。

米国初期の日本語新聞」という本を買ってしまいました。確か同じような古書市で同じ本を手にした記憶があるのですが。最近は同じ本を買うことが多くなって不安にかられましたが。ええい、と。

なかには「ハワイ日系新聞人の適応のストラテジー」という論文が収録されています。タイトルから想像したとおり、日本語学校を周辺に邦字新聞関係者の現地社会適応化の動きを論じたものです。

面白いのは「日系リーダーの志向」という図で、縦軸、横軸の十字の座標軸に当時のリーダーの態度、志向を置いたものになっています。横軸を「文化的次元」として左に行くほど「米化主義」、右に行くほど「多元主義」とし、縦軸を「構造的次元」として上に行くほど「平等主義」、下に行くほど「差別主義的」とした座標軸のなかで、例えばマキキ教会の奥村牧師は最も左、つまり「米化主義」の志向があり、日布時事の相賀安太郎はそれに比較すると中央寄り。両名とも縦軸は中央よりも「平等主義」寄りに置かれています。一方、布哇報知の牧野金三郎は横軸は中央よりやや「多元主義」、つまり右側に、縦軸はかなり上方、「平等主義」とされています。

なるほど、こうやって見ると実際の処遇、リーダーと呼ばれる人々の志向と若い世代の志向の違いが判りやすいな、と思いました。はてさて、祖父の志向をプロットするとどうなるかな、と考えてみたのですが、難しいですね。相賀安太郎さんよりももっと多元主義的ではなかったか、と思うのですが。

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