「変わる日系文化」

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朝日新聞朝刊の文化面で「変わる日系文化」と題する連載記事が始まりました。12日の第一回目がハワイを取り上げていました。(記事の掴みはマキキ聖城キリスト教会で、高知城を模した教会とそこに集まる人々を紹介しています。写真もあって、NHKの「世界まちあるき」ホノルル編に登場された牧師さんも写っているようですね)

この記事の要旨は
・日系人のもたらした日本文化が「ハワイの人々に親しまれる方向で」変節し、現地文化の一部となっている。
 例えば盆踊り、初詣、七五三・・・
・一方で三世、四世といった若い世代が「日系人のアイデンティティ」を保持するために新たに「日本らしい」伝統文化を習う、披露する流れもある。
 例えば和太鼓・・・

世界各地にある日本国外の日本文化から見えてくるものはなにか、を求めるというこの連載。この先も楽しみです。

先の書き込みでマウイの神社の行く末がおぼつかない、ということを紹介しました。一方、この記事にあるとおり、初詣や七五三のような催しに集まる人は多いようですね。実際のところ、神社の維持、運営を続けるためには氏子と呼ばれる人々の努力は不可欠。新しい世代にそれは引き継がれるのでしょうか。

雑誌「ジッポウ」では世界の仏教の様相を各号で紹介。ハワイも取り上げられていましたが、日系、アジア系以外の人々のアプローチも紹介されていました。これは、非アジア系の人々の間にある禅や東洋文化への関心をうまく掴み、成功を収めている例も多いようです。

一方の神道はどうでしょう。基本的に日本の神話、国の成り立ちに関わるこの宗教、ここにあるような初詣などの行事を行う場としては親しまれたとしても、具体的に維持をしていくうえで、神道は生き残れるでしょうか。

以前の書き込みでご紹介した井上教授のサイトに「ハワイ日系宗教の模索とジレンマ」と題する論文が、日本語を理解する世代が少なくなっていくなかでの取り組みを紹介しています。また、「異文化内状況と神社神道」では、特に神社神道がハワイで生き残る困難さを記述されています。関心ある方はぜひご一読を。

ここからちょっと主題から離れた話題を・・。

井上教授の「異文化内状況と神社神道」を読んだ僕は家族にハワイの神社について、話題にしてみました。すると、母が言うのです。ハワイの金比羅神社に行ったのを覚えていないの?って。

あ、すっかり忘れていました。そう、1966年に初めてハワイに行ったときに金比羅神社に行ったのです。当時の宮司、酒井さん(先の論文にも登場する酒井国助さんですね)に出前のラーメン(おそらくはサイミンだったのでしょう)をご馳走になったのです。配達が遅れたかどうかして麺がすっかり延びてしまったことを酒井さんが恐縮されていたことだけは覚えています。当時からぼんやりしていた僕はそれ以外のこと、金比羅神社がどのような様子だったなどは忘れてしまいました。

父が無くなる数日前に、この酒井さんのことを聞いてみました。そう、父の一家は酒井さんと親しかったのですね。

祖父と同じように収容所に送られた酒井さんとは、祖父と同じ山口県出身ということもあって親しくしていたそうです。帰国後も山口県で付き合いは継続、論文にあるとおり酒井はかなり早い時期にハワイに帰っていました。1966年に初めてハワイに戻った父は家族をつれて酒井さんに挨拶に行ったというわけです。叔母はもっと酒井さんと親しかったとか、いつか、詳しく話しを聞いて見ましょう。

論文によればその数年後の1971年に引退されたとのこと。僕の頭がしっかりしていたら訪問したときの様子をもっと思い出せたでしょうに・・・。本当にもったいないことです。

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