「日本ハワイ移民資料館」での先祖探求

Pocket

話変りますが、「1918年(第15回)布哇日本人年鑑」【布哇新報社発行】の在布哇日本人名簿にホノルル市カリヒ住の浅海数彦さん(布哇朝報記者)が載っていますが関係者でしょうか?

しかし、まだまだ分からないことだらけです。

両親や祖父母が生きている時なら何でも分かったのでしょうが、当時は興味もありませんでした。私の家も本家も分家も家を守る当主だけ残して、男どもは皆、ハワイに出稼ぎに行きました。
本家は村長をしていましたし、分家は助役をしてましたので、パスポートの手配などせっせと送り出す仕事をしていました。船便の手配、ホノルルに着いた時の旅館の手配、仕事の受け入れ先や労働条件まで中期以降はすべて村役場の仕事でした。

ホノルルの旅館は小松開作出身の「小松屋旅館」で久賀地区の人たちは久賀出身の「河崎屋旅館」が定宿でした。それぞれの館主はオワフ島以外へ渡る人たちの船の切符の手配もしていました。

小松屋旅館の女将さんは親族ですのでいまでも交流はありますが年を召されて不自由です。
他にシスコやロスにもいますが、四世、五世、六世ですので言葉が通ぜず音信普通です。

そのような子孫たちが日本に来た時、わざわざ周防大島の「日本ハワイ移民資料館」まで来て先祖探しをしています。出国時の日本名と大体の出国時期が分かればほぼ判明しますので、見付けた時の子孫たちの喜びようは大変です。
またご承知のようにアメリカは記録魔ですので、
① アメリカへの出入国記録
② 誕生記録
③ 結婚記録
④ 死亡記録(墓所の記録及び写真)
⑤ 人によっては学校卒業記録まで
有料ですがネットで手に入ります。

ハワイ移民資料館もこのアメリカのサイトに高い金を払って会員になっていますので
係員が暇でしたら検索してくれます。ただ全部英語ですから英語を理解する係員の時でないと駄目です(笑)

ハワイ移民資料館は我が家の近所ですので、ハワイ移民関係は時折資料漁りに出かけています。
また、周防大島の住民の殆どは関ケ原の戦い以降に伊予から移住してきた人たちが殆どですから、伊予が本貫地とする人が多いですね。

大島郡平郡島の浅海のルーツであるなら伊予河野家の末裔となりますので私の研究対象となっています。

1件のコメント

  1. 浅海数彦さんのお名前、各種名簿で目にするので気にはなっていたのです。ただ、親戚ではないようです。
    移民最盛期の大島周辺の様子が伺えて興味深いです。島の人々にとってはハワイが(他の移民先よりは)近しい存在だったことがわかります。

librarian へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です