東洋文庫ミュージアムにて、山本真鳥さんの講演「19世紀のハワイ諸島ー王国の栄光と簒奪」を拝聴しました。
19世紀以降、西欧との接触移行の産業および社会構造の変遷を分かりやすく説明頂きました。諸島の位置が交易、捕鯨基地の中間基地として適した位置にあったハワイが、先住の人々にとっては不幸?な運命に導いたように感じるのは単純化しすぎるでしょうか。
本日の講演でとくに興味深く感じたのは白檀交易の時代。その始まりも中国への交易船がハワイに寄港したおり、船員が白檀を発見したことが切っ掛け。自分の頭にはハワイから根こそぎ持ち出される白檀のことしかありませんでしたが、今回のお話によると交換に持ち込まれたのは金銀細工、磁器、絹織物、姿見等の中国の工芸品など。王族間の贈答品の競争の激化からも白檀の枯渇につながったのだとか。ハワイの王族には西欧の産品より中国の製品のほうがずっと魅力的に映ったのだそうです。
王族は白檀の採取に労働力を召集。本来タロイモ栽培などに充てられていた労働力が不足。サブシステンス経済(ハワイでいえばタロイモ栽培などで完結していた自給自足の経済)が立ち行かなくなります。
以降、捕鯨船基地、プランテーションなど世界の資源の需給関係の変異、人口問題などを乗り切るため現在の観光と軍事で経済が成り立つハワイに行きつく・・・。
それで良しとは思いませんが、様々な因果関係かからんで今のハワイにあるのか、と再度考えさせられる講演でした。
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