Hawaii,U.S.A

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雑誌「TIME」の表紙を飾ったハワイの人物は何人も居ますが、準州知事ジャッドもその一人でした。これは1929年七月八日号の表紙。

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随分と若く見えますが、ファーリントン前知事から後継をオファーされた時に、ジャッドは42歳でした。

このTIME誌で、新準州知事のプロフィールとともに、ハワイの現況を紹介する特集記事(といってもNational AffairsのTERRITORIES欄3頁に満たないもの)を掲載。

マッシー事件の前にハワイをどのように本土は観ていたのか、ちょっと内容を追ってみましょう。

記事はジャッド新知事就任の様子とジャッド一家一家が果たしてきた役割を祖父、父を中心に記述していきます。上に掲げた表紙には「彼の祖父のオフィスは王族の墓所だった」とあります。これは祖父のドクター・ジャッドがイギリスのポウレット卿のハワイ訪問時に墓所に書類を運び込んで執務をとり、ハワイの独立を守ったことを示しています。(以前触れたジャッド家のcoat of arms(家紋)はこの時の功績などを賞されたものです。)

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記事を上のイラストマップがうまく補っていますので、掲載してしまいますね。記事中ではすっと触れられているだけですけど、基地の存在がオアフ島では大きく感じられます。

人口調査での数字に合わせるように、先住民の存在は比較的小さく。この記事によれば純血な先住民の数はこのとき二万人に過ぎません。記事のRacesという項をみてみましょうか。

「テリトリー」の人口は全体で350,000。そのうち、白人は全体の1/10に過ぎないと。しかし、

この島では「人種問題」は存在しない。その理由は人種間の婚姻が進んでいることと「人種がこれまで共存、共営」してきたからだ。

もっとも多いのは135,000人の日本人グループ。そのうち、83,000人はアメリカの市民権を有す。

日本は一時ハワイを併合する計画を持っていたが、アメリカ移民法がそれを排除した。

ハワイでは日本人は『太平洋のユダヤ民族』と呼ばれてきた。彼らの有能さと意欲、他の人々の特質や文化を身に着けようとする不屈の精神が、そうさせるのだ。

つづけて中国、フィリピン系の人口を記述していますが、この記事を読むと日系人はプランテーション労働者から脱しているような印象を与えます。

ここでは記事中の人口調査の数字をそのまま掲載していますが、ハワイでの白人、特に軍事関係者の人口は急伸しているはずです。

この記事ではそのほかの政財界の要人、ディーリンハムや今は本土で議員をしているハイラム・ビンガムがジャッドと同じようにハワイへの宣教師を父祖に持つことを述べ、彼らが今も友好な関係を保っていることに触れています。総じて、この記事ではハワイの将来、現況に楽観的。温暖なハワイでの執務を行うジャッド知事を他のアメリカの行政官は妬むことになるだろう、と記事は結んでいます。

しかし、数年後、マッシー事件が起きてから、他の行政官はジャッドの立場に居なくて良かったと胸をなでおろしていたはずです。

さて、同じアメリカ本土の視点を定点観測するため、戦後1947年のTIME誌を紹介しましょう。

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表紙はファーリントン議員。ファーリントン準州知事の息子であり、この雑誌掲載時にはハワイ準州議員でした。

表紙の下に「49番目の州に?」とあります。

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記事はやはりNational AffairsのTERRITORIES欄に4頁で掲載。いきなりマッシー事件の概要から始まっています。事件から15年が過ぎ、第二次世界大戦を経ても、大きな傷となっていることを感じさせます。

マッシー事件は

今までなかった形でハワイの人種間の問題を燃え上がらせた。

スキャンダラスな事件は本土の関心を初めて太平洋の島に向けさせることになりますが、実際には本土の新聞報道は偏重しており、ハワイに対する偏見をあおることになったと浅海は考えています。(事件前のTIME誌では人種問題が無いとしていたことを思い起こしてください)

記事中に小さく、人口調査結果に触れられていますが、これによれば、軍関係者を覗いても白人が全体の33.4%、日系が32.4%、パート・ハワイアンが12.4%、フィリピン系が10.4%、中国系5.9%、純粋なハワイアンが2.1%など。これにみるように白人系が日系を逆転しています。

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続く記事では、ハワイの立州(49番目の州になること)を阻害する要因が、マッシー事件の後遺症だけではなく、労働問題なども影を落としていることを示しています。

しかし、この1947年という第二次世界大戦の記憶がまだ色濃く残っている時代、東洋系やハワイ系が混在するハワイという土地を州に迎えることに疑念があることを感じさせます。とくに日系の人口が多いハワイが信用できるのか。

記事の最後の方に、海軍情報局が日系人によるサボタージュがなかったと表明、また、日系人部隊が多くの犠牲を払ってその忠誠心を証明したにも関わらず、アメリカ市民には、彼らと同じ血を持つ日本人が行ったことを簡単には忘れられないと。それがアメリカ人にジレンマになっていると。

マッカーサー元帥はハワイの立州化を擁護している。なぜならそれが彼の日本の民主化の努力をサポートするものだからだ。なぜなら、彼は日本帝国の下で育ってきた日本人と、デモクラシーの下で育ってきた日本人の違いを見てきたからだ。

ただ、やはりライバルとなるアラスカと比べるとこれは大きなマイナスポイントであったようで、ハワイが州になるのは実にこの号が出た12年後であり、アラスカに次ぐ50番目でした。

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