Taking Waikiki (1994)

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「観光コースでないハワイ―「楽園」のもうひとつの姿」について感想をブクログbooklogに書いてしまったので、ここでは繰り返しませんが、この本で触れられている「Taking Waikiki」というドキュメンタリーについて触れさせて下さい。(このタイトルを翻訳すると「ワイキキ乗っ取り」になりますでしょうか)
このドキュメンタリーの存在を知ったのは布哇文庫というサイトを始めた頃なのですが、その動画を見るチャンスはありませんでした。自分がインターネットで出会ったのはこのドキュメンタリーのシノプシス(テキスト)を纏めたサイトで、その後youtubeなどで一部でも公開されないだろうかといろいろ探していたのですが、下記サイトで今では誰でも観ることができます。
シノプシスは一時期、ハワイの独立運動を扱ったサイトでよくリンクされていたのですが、いつしか消えてしまいました。別サイトで同じものが掲載されているかもしれませんので、この動画と併せてごらんになってください。

http://www.archive.org/details/TakingWaikiki

自分が何故、このドキュメンタリーを観たかったのか、書きましょう。やはりジャッド家からみだったんです。戦前のハワイ日系社会を二分した日本後学校の規制、その元となった「学校教員資格制度案」を起草したのがA.F.Judd。彼は当時、ガーディアン・トラスト社の要職にあったそうです。
http://www.elks616.org/d/d/3015.html

Punahou School Trustee、Bishop Estate / Kamehameha Schools Board の他、教育関係の職にあったようで、「学校教員資格制度案」を起草する動機はそこにあったのかもしれません。あるいは?。サトウキビ耕地の耕地主との関係も深かったので、そこに動機があったのかも。これについてはまた別に。

さて、このガーディアン・トラスト社Guardian Trustについて当時、言及があったのが唯一「Taking Waikiki」のサイトでした。浅海の理解に誤りがあったら申し訳なのですが、Guardian Trustは当時Bishop Estateの換金マシン的役割を果たしていたようです。つまり、Bishop Estateから安く仕入れた土地を高価で売る・・・。本来はハワイの人々のものであった土地を金に換金する仕掛けの一部であったと理解しています(ここは要確認ですが)。後にGuardian TrustはBishop Estateに吸収され、彼はKamehameha Schools Board のTrusteeになりました。

Kamehameha Schools Board のTrusteeについては後に汚濁とスキャンダルが明らかになりますが、当時から理想とは違った金の臭いのプンプンする存在だったのかもしれません。

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