モロカイ・ランチ(3)-その起源-

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ジョージ・クックの著書「Moolelo O Molokai」からモロカイ・ランチの始まりを・・・。

もともとは後にカメハメハ5世となる人物の持ち物であったモロカイ島の牧場。グレート・マヘレを経て、プリンセス・ルスからバーニス・パウアヒ・ビショップが相続しました。彼女はモロカイ島のKaluakoiを望まず、夫であるチャールズ・ビショップに譲ります。(バーニス・ビショップが相続した広大な土地資産がビショップ財団、カメハメハ・スクールの基礎となります)
アメリカン・シュガー・カンパニーは現在のモロカイ・ランチの大部分をなす土地をビショップ夫人から、Kaluakoiをチャールズ・ビショップから購入。それ以前にハワイの有力者のグループが牧場経営を試みていましたが、アメリカン・シュガー・カンパニーは大規模な砂糖キビプランテーションを計画。しかし、この広大な土地に真水を供給することができずにプランテーション造成計画は遺棄されます。(小規模なプランテーション、そしてパイナップル畑は成功)
アメリカン・シュガー・カンパニーはハートウェル判事、アルフレッド・カーター、ジョージ・カーター、チャールズ・M・クックらによって設立された法人です。本書の著者、ジョージ・P・クックはキャッスル&クックの創立者エイモス・スター・クックの孫であり、チャールズ・モンターギュ・クックとアンナ・シャーロット・クックとの間に生まれた息子なのですが、面白いことに彼はイェール大学で芸術を専攻、その学士となっているんです。(アンナ・シャーロット・クックがホノルル美術館を設立したことはご存知でしょう?。その母親の影響でしょうか。ハワイの有力者の子供は本土で大学教育以上を受けるのが当たり前でしたが、法律や経営が多くて芸術は珍しいのではないでしょうか)
チャールズ・クックは牧場経営に力を入れることを決意。その責任者として息子であるジョージ・クックをモロカイに送ります。1908年4月、ジョージは妻、ソフィー、娘ドラ、とともにモロカイに移住。チャールズ・ハートウェルにアシスタント・マネージャー、会計を頼み、コック、身の回りの世話係として日本人のカップル、ミヤマとタニを、そして妻の子供養育の補助をさせるためにメイドの「チコ」を同行させてのモロカイ行きとなりました。

本書の口絵に用いられているソフィー・クックの油絵「Central Molokai and Maui from Above Mahana」をご紹介。

Central Molokai and Maui from Above Mahana
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