Katsumi Kometani さんのこと

Pocket

なにしろ新聞を読まないもので、この記事の存在にも気が付きませんでした。実家の納戸で風呂で読むものを探していたところ、先週の朝日新聞夕刊の連載記事を見つけました。連載タイトルは「ニッポン人脈記」、このところ「五輪走馬灯」というシリーズでかっての五輪に絡めたさまざまな人間ドラマを描いていたものの一つです。

7月2日付け夕刊の回のタイトルは「IOC復帰 ハワイの情」、つまり、戦後日本がオリンピックに復帰できた陰にはKatsumi Kometaniさん、米谷克己さんというハワイの日系人の尽力があったという内容です。

記事には水泳で活躍した古橋広之進さん、橋爪四郎さんと並んだ米谷克己さんの写真が添えられているのですが、その同じ写真に笑顔のデューク・カハナモクも写っています。たしか水泳チームがオリンピック復帰前にハワイでの大会か合宿に参加したことがあるはずで、その歓迎会かなにかの写真ですね。(ごめんなさい、うろ覚えで。このあたり、高杉 良さんの「祖国へ、熱き心を」で読んだ気がするのですがあいまいです)

・米谷さんは資金難にあえぐ日本に寄付金を募りIOC委員を1949年のIOC総会に送る援助を行った。
・みすぼらしい服のIOC委員に新しい服一式を買い与え、身なりを整えさせた。
・マッカーサーにスポーツ交流の大切さを訴え、それが後の日本のオリンピック復帰に繋がった。

要約すると以上のような内容になります。米谷さんは大学では水泳による修学生であり、また日系人アマチュア野球チームのオーナーであったそうです。調べてみるとこの記事以外にも面白い事実がありました。

・調べてみると米谷さん一家は大変なスポーツ一家でした。
 兄弟や孫たちがハワイローカルスポーツ界で名を残していることを示す記事がみつかりました。
 孫の一人Pamela Kometaniは女子プロゴルファーであり、Annika Sorenstam とプレイオフを戦ったこともあるようです。以前紹介したスポーツトリビアの本に名前が有るかもしれませんね。

・また、彼は大100大隊の退役軍人の親睦団体「Club 100」初代の代表者でした。

Kometani一家の結束の固さを示すサイトを見つけました。おそらく、このKometaniは記事の米谷さん一族のものと思います。まだ構築途中ですが、よいアイデアだと思いますね。

今回の記事でも戦後、日本人は多くの部分を日系アメリカ人の好意におっていることを実感しました。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です