昭和6年の周防大島

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今、手元に二冊のスクラップブックがある。これは祖父、浅海庄一が高松宮殿下の秩父丸による日本帰国に同行取材を行った際の記事をまとめたもの。一冊はその機会を利用した日本各地の旅行記となっている。

実際には東北地方にも足を伸ばしているのだが、「対日見聞」と題した旅行記の連載は九州一周と周防大島訪問が中心になっており、特に「大島群遊記」は全6回に渡っている。

旅行記にあるのだが1931年(昭和6年)の日本は不景気で今でいう「デフレ」状況か。移動中の食事は各地の駅弁で、その価格が数年前(五年前)の訪問時よりも安価になっており、しかも名産を工夫をこらして盛り込んでおり、食堂でチップを気にしながら食事をするよりもよっぽど良いと。ただ、あまりに(ハワイでの生活感覚からすると)安すぎて原価を割り込んでいるのではないか、と心配する。

祖父の出身地は山口県であるが、島影を前に育ちながら実際に訪問するのは実はこの時が初めて。

その祖父は大島郡の経済状況をこのように書いている。

「大島郡は、山口県内でも最も裕福なる郡の一つである。久賀ニュース主幹吉川花愛氏の話によると、大島郡は貧富の差ということが比較的少なく、総体的に富の均衡が取れているといふことであったが(中略)、ひとつは郡全体に海外発展熱が旺盛である為めと見ることができる」

この時期、すでにハワイから帰国した人物も多く、「僕も大島郡二日の旅において、随所に『布哇の臭い』とでも云ったやうなものを嗅いだのであった。」

今、宮本常一さんの「私の日本地図・周防大島」と佐野真一さんの「旅する巨人-宮本常一と渋沢敬三-」を並行して読んでいる。読み終わったらまたこの記事にふれたいと思う。

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