浅海青波の短歌/潮音詩社

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少し前の書き込みで、祖父である浅海庄一の投稿した短歌が雑誌「文章世界」に掲載されていたことを書きました。祖父の兄、浅海吾市の歌も確認。無断引用になりますが、以下に示します。住所がそれぞれ、ホノルル、あるいは布哇になっておりますので、まず間違いないでしょう。

「文章世界」第9巻2号短歌投稿欄から 浅海青波

 「つゝましき君のわれより去らしめよ十九とほりて学校に入り」 (歌集「海潮音」にあたってみましたが、僕のみるかぎりこの作品は掲載されていませんでした)

 十九とは祖父の年齢をいうのでしょう。17歳でハワイに、その後苦労を重ねたと聞きますが、どこかの学校に入学したのでしょうか。同じころハワイ島ヒロの雑誌「新世界」に執筆を始めます。

さて、「文章世界」という雑誌ですが、ここに僕を導いたのが「潮音詩社」でのグーグルの検索結果。「潮音詩社」名義の投稿が読者通信欄に掲載されているのです。ところが・・・・。その掲載年と住所が問題なんです。掲載号は大正4年(1915年)11月刊行の第10巻12号。潮音詩社発足は1922年の歌集「海潮音」発行の後とされていますから、時代が合いません。また、決定的なのが「潮音詩社」名義の投稿者の住所です。なんと札幌とされているのです。北海道!。祖父と札幌に縁があったとは聞いておらず、もちろん、このときに日本に戻っていたとは思えないのです。

短歌結社の名称などは登記をするものでもなく、独占出来るものでもありませんから、同じ名称の結社が存在していてもまったくおかしくありません。偶然、同じ雑誌に投稿が載ったということだけだったのでしょう。歌集「海潮音」に古い雑誌、新聞に投稿を繰り返したがすべての旧作を集めることが出来なかった由の前書きがあり、ハワイに来る前からも日本の少年雑誌、文芸雑誌に投稿を繰り返していたとのこと。あるいはこの札幌の投稿者とつきあいがあった。あるいは、投稿を目にした可能性もあります。いずれにしても投稿者である「潮音詩社」とハワイの「潮音詩社」がまったくの別物と考えるのが妥当でしょう。

ただ・・・。ただ、実際にこの投稿を読んでみると、投稿者の所在がハワイであっても違和感のないものであることに気づきます。無断で申し訳ありませんが引用させてください。

大陸的の夏も過ぎ去りました。青いゝ海に環らされた島國、そこに生活する若者たちには一種特別の共通性があるように思われてならない。私等はこの一種特別のテンペラメント(浅海注:気質、精神的素質)を紹介する目的で十月から新誌を出さうと思ってゐますが何しろ海山幾百里の島國ですから私等が標準とするには余りに不適切な雑誌ばかりか見当たりません。同情ある方は貴方達の手になる誌を御恵請下さいお願です。他山の石とするのですから。(札幌大通西八ノ一、 潮音詩社)

 ハワイで「大陸的の夏」というのが難ですが、北海道を「島國」というのもピンときません。住所をハワイに置き換えて提示されたらそれほど違和感なく読んでしまうでしょう。実際、祖父は大正五年に「布哇」という「週刊雑誌型の読物雑誌」を発刊。ただ、残念ながら三号だけで終わってしまいます。

祖父の頭に当初から「潮音詩社」という名前があって、かつ札幌の住所がなにかの誤り、都合であったのならおもしろいのですが・・。(ただ、当時のハワイには評価の高い「白光」という文芸雑誌があり、七号まで続いていました。雑誌「布哇」はその後を受けての刊行というイメージで、「標準」とすべき雑誌はすでにハワイに存在していたはずなのです。)

いたずらにハワイの「潮音詩社」と結びつけることなく、やはりここは札幌におなじ名前の同人結社があり、かつ雑誌を出そうとしていたと考えるのが妥当なのでしょうね。

なお、この項は1964年刊行の「ハワイ日本人史」、田坂養民さんの連載「移民百話」(イースト・ウェスト・ジャーナル)、その他を参考とさせて頂きました。

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