忘れられた殺戮 ホノルル・マガジン1月号から

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ホノルル・マガジン1月号が届きました。

新刊として「Big Island Journey: An Illustrated Narrative of the Island of Hawaii」という本が紹介されています。この記事を先に読んでいればこの間の注文に含んでいたのに・・・。珍しい写真を個人のコレクションなどから集めたもののよう。うう、欲しい。記事に有るように、ハワイ島だけではなく全島それぞれをカバーするシリーズが出て欲しいです。

A Massacre Forgotten

新年早々から殺伐とした話題で申し訳ないのですが、このホノルル・マガジンはハワイの歴史のダークサイドも取り上げることが多いのです。本号では「忘れられた殺戮」というタイトルで1924年にカウアイ島でおきたストライキをきっかけに起きた悲劇を紹介しています。労働争議にからむ悲劇といえば「ヒロの大虐殺」が有名ですが、この20人もの犠牲者を出した悲劇はあまり知られることなく今に至っているとのこと。

何故、「忘れられた惨劇」になってしまったのか。この記事を簡単にまとめると以下のようになります。

・ストライキの当事者であるフィリピン労働者達は移民集団の中では後発組であり、組織化も十分でなかったこと。
・日本人達の労働運動との連携も上手く取られていなかったこと。(フィリピン人同士の連携さえ不満足な状態)
・初期の日本人移民もそうでしたが単身の移民が多く、特に若いフィリピン労働者は乱暴だとのイメージが有った。
・買い物に通りかかった別のフィリピン人の若者を「ストライキ破り」と誤解、監禁乱暴してしまったこと。
・その二人を救出しようとしたシェリフ達とストライキ参加者との間での出来事であり、記事によれば二人を連れ出したシェリフが現場を出ようとした時点で刀で威嚇しようとした参加者に向かってシェリフ側が発砲してしまったこと。(歴史の多くの出来事と同じように実際起きたことを明らかにすることは難しいでしょう)
・シェリフ側にも4人の犠牲者が出ていること。(ストライキ参加者側は16人が死亡)

上記の理由から犠牲者の多さに比べ世間のストライキ参加者側への同情や、シェリフ側への非難は少なく、マッシー事件や1938年のヒロ虐殺事件のように語られることなく今に至っているようです。しかし、記事にあるようにハワイの労働運動を語るとき、この事件を忘れることは出来ないと思います。

(個人的に皮肉なことと思ったのは、現場が集会用に借りられた日本語学校であったこと。1919年に日本語学校をターゲットとした外国語学校規制案を新聞に発表したA.F.Juddは、同時に、労働運動で力を得てきた日本人労働者の代わりにフィリピンからの労働者移入を推進した人物でした。)

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