弁護士、Harriet Bouslog

Pocket

もう少し、テレサ・ワイルダー(Therese Wilder)の事件について書かせてください。

この殺人事件についてインターネットで検索したり、ホノルル・マガジンのバックナンバーを買ったりしているうちに、事件そのものはもちろん、この事件に関わったHarriet Bouslogという弁護士を知り、つよい感銘を受けました。

この弁護士についてはアドバタイザー紙の紹介記事がありますが、それをベースに、彼女について簡単にご紹介したいと思います。

-----
ハリエット・ボスログは主に労働問題専門の弁護士で、弱者や活動家のために無料で働くこともしばしばだった。

1941年、数少ない女性弁護士の一人としてハワイの法曹界に入るいやいなや、ボスログはその積極的な活躍で40年代、50年代の労働者階級の擁護者になる。

第二次世界大戦中、彼女はワシントンDCにおいてILWU(国際港湾倉庫労働組合)で働いていたが、戦後はハワイに戻り、ストライキ中に逮捕されたプランテーション労働者を弁護した。1946年に400人にのぼる砂糖キビ耕地の労働者が不法集会の理由で逮捕されたときには、彼らが刑務所に入れられぬように活動している。

1948年のテレサ・ワイルダーのケースでは後一週間で処刑予定の死刑囚John Palakiki と James E. Majorsを担当。土壇場で(浅海注:わずか執行二分前に)11時間の執行猶予を得、後に終身刑に減刑。最終的に仮釈放を勝ち取るに至った。

(浅海注:同じ日に仮釈放となった二人ですが、 Palakikoは規定に反して三年の刑で刑務所に戻され、原因不明で死亡しています。インターネット上で読むことの出来る本件に関する記事の中には終身刑に減刑したSamuel Wilder King サミュエル・ワイルダー・キング知事をテレサ・ワイルダー夫人の縁者とするものがありますが、本件を取り上げたホノルル・マガジンの記事では関係は無いとしています。)

このケースがハワイ州での死刑廃止につながったとされている。(浅海注:先のブリティン紙の記事にあるとおり、ハワイでは1957年に死刑を廃止)

1952年、ボスログはハワイ島においていわゆる「ハワイ・セブン」(「扇動的」な言動から政府を倒そうと企んだとして逮捕された組合の活動家達)の裁判を非難するスピーチを行い、一年の弁護士ライセンスの停止処分を受けた。ILWUは彼女にライセンス回復のために取引をするように勧めたが、彼女はそれを拒否し、米最高裁判所に上訴。そして勝訴した。

ハリエット・ボスロクは1998年に85歳で亡くなっている。

-----
これを読んで多くの方が思うでしょうが、彼女、ハリエット・ボスロク( Harriet Bouslog)はまさにクラレンス・ダロウの後継者、社会派弁護士そのものと言えるでしょう。労働者、弱者の立場に立つことはもちろん、死刑に対する態度も共通しているように思います。

クラレンス・ダロウの死刑に対する態度については、今もっとも手に入りやすい書ではランダムハウス講談社の『最終弁論-歴史的裁判の勝訴を決めた説得術』の「レオポルドとローブ」編で明らかですが、是非、みなさん、死刑制度そのものもそうですが、1800年代以降のハワイの状況も踏まえて考えてみてください。(この事件とテレサ・ワイルダーの事件を同列に扱うことはどこか僕の中で抵抗感がありますが・・・。死刑制度についてはハワイでもその復活が繰り返し、悲しい事件が起きる毎に論議されてきているようです。とくに、幼い子供の命が失われた時、その声は高くなっていると思います。)

上記の紹介記事でもっとハリエット・ボスログを知りたいと思われた方は以下も参照ください。ハワイで死刑に処せられたのは非白人が圧倒的に多いということの指摘や、彼女が米最高裁判所で勝ち取った判決の意義などについて触れられています。

HARRIET BOUSLOG LAWYER, RISK TAKER, AND CHAMPION OF THE UNDERDOG

?この文書はハワイPBSの番組と連動しているようです。その番組がDVD化されているので、手に入れたらまた感想を書きたいと思います。

Harriet Bouslog won landmark labor cases(彼女の死を報じるブリティン紙の記事)

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です