第二次世界大戦下の強制収容所について少し書かせて下さい。最近、全米日系人博物館のyoutubeチャネルに下のような動画がアップされていました。
この動画で触れられているクリスタル・シティ収容所は、全米日系人博物館のサイトでは、「クリスタル・シティは司法省の管轄」で、「戦時転住局によって「トラブル・メーカー(問題を起こす者)」とみなされたひとたちで、アメリカ市民でない人たち」が最終的に転送された場所と説明されています。祖父が最終的に送られたのがこの収容所であり、父達家族と再会した場所でありました。
その「トラブル・メーカー」達への扱いはどうだったのでしょうか。確かに環視は厳しく、手紙の検閲などが行われていたようです。
しかし、ビデオを観て判るとおり、食事などは潤沢に提供され、かなり恵まれた環境でした。実際、祖母は母に「ミルクなどは飲みきれないほどで、もったいないけど植木にまいた事もあった」と思い出を語ったことがあったそうです。幼かった叔母も同じような年頃の遊び相手もおり、この収容所での思い出はけっして悪いものではなかったと。
しかし、家族の思いとは別に祖父は交換船での日本帰国を決断。日本に近づくにつれ船などでの食事事情が悪化。日本の置かれている状況を実感することになります。
この収容所のことなどはまた次の機会に書かせて下さい。