祖父のサイン帖:吾等のテナー 藤原義江

1933年6月23日 藤原義江

じつは藤原義江さんのサインとはすぐには気が付かなかったのです。AIに聞いても崩した漢字にはお手上げでした。上部の楽譜が十分なヒントでしたのに。曲名が判れば良いのですが、知識なくまったく判りません。あるいはテノールの音域を示すものかもしれません。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E7%BE%A9%E6%B1%9F

ハワイと藤原義江

藤原義江さんのハワイ訪問については知っていたんですよ。考えてみるとその知識はすべてジャック・Y・田坂さんの著書、およびコレクションから得ていたんですね。


「ハワイ文化芸能100年史」 ジャック・Y・田坂著(これも鈴木啓さんから頂きました。)
藤原義江さんが初めてハワイを訪れたのは1924年、最初の海外演奏旅行の第一歩をハワイから。ついで1925年に二回目、独唱会は超満員でハワイは彼にとっての弗箱だったそうです。


「憧れのハワイ航路」 これはジャック・Y・田坂さんの豊富な写真コレクションから日本とハワイの文化交流史を編んだもの。
藤原義江さんの写真は先の「ハワイ文化芸能100年史」と同じ1933年8月の独唱会バックステージ集合写真が見開きで掲載されています。彼を囲む「日本弦楽団」はハワイで出来た初めての日系バンド。藤原義江さんの独唱会にほとんど無償で協力したのだとか。以降盛んとなる日系バンド活動の嚆矢となりました。


「ハワイ日系社会ものがたり」はジャック・田坂さんのインタビューを構成してハワイ日系メディアの歴史、および彼の戦時中の体験を一冊にまとめたもの。
本書によれば藤原義江さんはハワイの独唱会でアメリカやヨーロッパに行く資金源としていたそうです。
藤原義江さんと日系社会との関係についてディスカバー・ニッケイに良い記事が掲載されていました。
https://discovernikkei.org/ja/journal/2023/2/23/yoshie-fujiwara-1/
https://discovernikkei.org/ja/journal/2023/2/24/yoshie-fujiwara-2/
そういえば藤原義江さんが日本人として初めて「アロハオエ」を収録、発売したのが1933年7月でした。
https://yokin.punate.today/item-f5y4tx4mni.html
https://www.jvcmusic.co.jp/-/Discography/A000151/VICG-60407.html

船上の藤原義江(柳宗悦から妻兼子への書簡から)

ハワイ行きの船「秩父丸」に同乗した柳宗悦が船上から夫人に送った書簡に藤原義江にふれた部分があります。
第一等先客から柳宗悦、藤原義江、天理教中山管長の三人に講演の依頼があったそうです。藤原義江さんの話は面白かったと評価。兼子夫人も世界的に活躍された声楽家だったこともあるでしょう。以下のように書き送っています。

『大声で世界を征服したカルーソにたちうちするにはどうしたら良いか。考えた末に一番小さな声で制服してやろうと発願し、その練習を一生懸命にやった』(要約)

色々とあとで話したが、つねにねらい所がはっきりしている点に関心した。中々意見を抱いているのは予想外だった。

柳宗悦全集 著作編 第22巻下所収 p60  6月21日付け 柳 兼子宛封書から

 

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目です