ベーブルース一家のサイン

実家の棚から祖父のサイン帖2冊が出てきました。1933年にハワイを訪れた著名人、日布時事の同僚の寄せ書きの一冊からベーブルース一家のサインをご紹介しましょう。
上からベーブ・ルース本人、妻のクレア、娘のジュリア、そしてハーブ・ハンターと続きます。
ハーブ・ハンターは翌年の日米野球の立役者、「外交官」として非常に有名な人物です。元大リーグ選手で、1920 年代から30 年代にかけて大リーグ選抜チームの日本遠征ツアーをコーディネートしていました。
彼は1934 年の伝説的なベーブ・ルース来日(大日本東京野球倶楽部/読売巨人軍の結成へとつながる歴史的ツアー)とこの1933 年10 月、ルース一家のハワイ(ホノルルやヒロ)滞在もプロモート。当時の新聞を検索すると日程等の情報はすべてこのハーブ・ハンター経由で得ていたようです。
 
ベーブ・ルースは休暇のつもりだったようですが、地元チームとの親善試合にひっぱりだされ、当時ハワイ最大飛距離のホームランをかっとばします。サインの日付はその試合の翌日、23日ですね。
ベーブ・ルースはハワイ到着後、おそらく19日に一家で「近代野球の父」と呼ばれるアレキザンダー・カートライトのお墓を参っています。
カートライトは塁間の距離、ファウル・ボールの規定、アウト三つで攻守交替となる等「20のルール」を作成、これが近代野球の父と呼ばれるゆえんです。
 
これは2009年に撮影したオアフ墓地のカートライトのお墓と墓碑です。小さくてわかりにくいですが、お墓の下に数多くの野球ボールやレイが備えられていました。今も野球関係者の多くがハワイを訪れるとお参りしているようです。
 
カートライトが何故ハワイに来たのか?彼の人生は佐山和夫著「野球とクジラーカートライト・万次郎・ベースボール」という書に詳しいので是非読んでみてください。
当時のアメリカ産業の西部、ハワイへの広がり。開国を控える日本との交差を野球というキーワードで語る好著です。今、気が付いたのですがベーブルースがハワイを訪れたのを1935年としていますが(p.259)、これはなにかの間違いでしょう。
 

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